✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 12/2(日) 今日のクリント・イーストウッド祭りも大当たりだった。

今日のクリント・イーストウッド祭り(^_^;)は『チェンジリング』。

望外の収穫だった。

自分でも理由はわからないけど、なんとなく食指がわかなかったのだ。

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いや、おもしろかった。と、これ以上のことをブログで書くつもりはあまりない。

そういう評論家的なことは他の人にまかておけばいいし、僕はそうではないから、作り手の情熱なり、よくぞこういうところに着目したものだとか、少年が薄暗い家の中から遠慮がちにさよならの手を振るあのシーンが、この世のお別れのシーンだったかも知れないという演出の妙とか、そうした賛辞の側から捕えたいとふだんから思っているから。

(よっぽどひどくて、壁に蹴りをいれたり大暴れしたくなるような作品に出会ったらわからないけど)

少なくとも、無責任な批判というのは、誰にだってできると思うし。

(それでも乏しいお金で、どっちの映画を見ようかと迷ったときなどには、そうした批判は大いに役に立つし、利用させてもらっているから、無用の産物などというつもりは毛頭ないけれども)

 

同じchigasakiに住んで、フリーランスをしているO嬢(と書くとなんか色っぽく感じるけど、そうした雰囲気とは無縁の人(^◇^;)が、去年だったかインタビューで、かつてクリント・イーストウッドが市長を務めていたカーネル市まで出かけていったことがあるが、もともと老人好みのO嬢(ますます嫌らしく聞こえるな……)、イーストウッドの物静かで優しく知的な雰囲気に一発でまいってしまったのだという。

 

さもあらんという気がする。

そうした優しさ、知的な優雅さ、しかしそれでいて言うべきことはきちんと主張し続けるという生き方をしているからこそ、こうした映画を作れるんだと思う。

クリント・イーストウッドという人も、決して評論家にはなれなかったタイプの人間だと思う。

 

しかしこれが実際にあった事件だったとはなあ……ちょっと今、重苦しい気分に陥っている。もしも自分の息子が……

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