✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 8/1(水) ⑤なんだか過去形ばかりが口を突く……

(この川沿いの道、歩くのなんどめかな)

(ニトリに来たのは何年前だっけ。ボウルとメッシュのザルを買ったんだよな)

(ああ、ここのでっかい饅頭、あんこがうまかったんだよな。引っ越す前にお仏壇に供えたんだっけ。娘にも食べさせてやりたかったな)

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(いろいろあったけど、なんかそれなりに楽しかったよな)

(結局この仕事、ひとりがいいんだろうけど、作家の奥さんたちって、旦那をうまく持ち上げて、それなりに人生を楽しんでいる女性だっているのに、僕は結局そういうちょっと肝っ玉の太い変わったタイプの女性には出会わなかったな。元妻も、きちんとしたサラリーマンと結婚してたら幸せだったんだろうな)

(chigasaki駅からバスに乗って、マンションまで毎日のように帰ってたんだよな。バスが終わる時間が早くて、最終を逃しちゃったこともなんどもあったな。タクシー代なんかないから、とぼとぼ歩いたなあ)

 

なぜかこのところ、すべてを過去形で考えことが多いような気がする。

将来~~してやろうとか、とりわけ小説においてはまだ未来形で考えるけれども、それ以外はなんか、みんな終わってしまった感じなのかも知れない。

 

何人かの年配の知り合いが、孤独の相っていうのは確かにあるのよとか、滅ぶ家はけっきょく滅ぶのよとか言っていたことがあるけど、その通りだったのかも知れない。

弟も2度も離婚して、子どもはいないし。

新潟に数人親戚がいるけれども疎遠もいいところだし。

父の兄弟ふたりは戦死してしまったし、母の兄姉はふたりとも肺結核で若くして去ってしまったから、親戚は基本的にいないに等しい。

 

物心ついたときから、そういう孤独な人生を過してきたから、この年になって、なんだかもう疲れてしまったのかも知れない。

別に落ち込むとか、鬱とか、まったく関係ないんだけど。

淡々と考えるだけなんだけど。

 

母が若くして肝硬変で死んだとき、最後の言葉は

「寂しい」

だったという。

母に性格がそっくりの僕は、やはり寂しいと思う感情が強いんだろう。

まあこればかりはあらがおうったって抗えない。

長年やってみたけれども、結局落ち着くところはひとりだった。

しかたがないな。

 

今度の日曜日はchigasakiサザンビーチの花火大会。

去年は地震と津波のせいだけじゃなく、僕も引っ越したばかりで体調をくずしてしまい、見学どころじゃなかったけど、今年は必ず見に行こう。

もちろん人出の多いchigasakiまで出かけるつもりはない。

砂浜続きのこのtujidouの砂浜に寝転がって、お隣の大きな花火大会を見るんだ。

この夏、最大の楽しみ。