✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 8/6(月) ①黙祷。

 

断酒610日。

昨夜倒れるようにして11時に寝るものの、12時、1時半、3時半、4時半と断続的に起きて、6時過ぎにようやく寝足りた感じがして起床。

睡眠障害の本やネットには、夜あまり激しい運動をしてはならないと書いてあることが多いが、やはり神経が高ぶってしまうのかも知れない。

以前だったら2時3時に確実に眠れなくなっていたが、メラトニンとサプリのおかげだろう、起きてもすぐに最入眠できるようになった。

資源ゴミを出し、公園で文庫を読もうとするも、風が無くて部屋より暑い。

1節だけ読んで部屋に戻り、ストレッチの続き。今日は効率がいい。

8時15分。

有線放送に従って1分間の黙祷。

 

 

広島、そして続く長崎で、世界唯一の被爆国となり、そして福島の原発事件、再稼働。

むかしデビュー作(河野多惠子さんによれば、初めて本を上梓することだけをもってデビューなどというのは、きわめておこがましいことだそうだけれども)で広島の原爆について資料を読み、広島まで行って当時に思いをはせ、駅前のバラックに近い市場から始めて市内をくまなく歩いたのは、会社を辞めた年の夏だった。

もう13年も昔のことになる。

そのころ読んだ資料のなかに、ある兵隊の述懐として、

 

「……命令に従って駐屯地から市内に入ったが、どこも火の海だった。ある幼稚園の前を通ったら、火災が発生して、建物のなかで子どもたちが泣き叫びながら助けを求めているのが見えた。しかし当時の日本軍は、あくまで皇軍であって、国民のために戦う軍隊ではなかった。上官も見て見ぬふりをして幼稚園の前を小走りに通過して行った。今思い返すと、なぜ子どもたちを助けてやらなかったか、後悔しても仕切れず、あの時の光景が今でも目に焼きついて離れないし、なんども夢に出て来た」

 

とあった。

当時はこの兵隊の言う通り、国民は「臣民」であり、軍隊は「皇軍」であった。

臣民などは、国家と万世一系の天皇陛下のために命を捨てることなど当たり前の時代だった。

そして恐るべきことは、当時の日本の官僚組織が、今に至るまで、連綿と命脈を保っているという事実である。

 

組織が命脈を保っている以上、組織としての思考はなかなか変化するものでないことは、なにも官僚だけではなく、ありとあらゆる民間会社を見ても明らかである。

いったんその方向に進み始めると、なかなか舵を切ることができない。

しかし民間と官僚が大きく違っているのは、民間会社の場合は、時代の変化に対応できなかったときに、その会社は倒産するのに対し、官僚は国家そのものが徹底的に破壊されるか、新しい権力者(国民を含む)が古い官僚体質を破壊することを選びでもしない限り続いてゆく。

 

今回の原発事件とそれに続く再稼働というのは、そうした戦前からほとんど変わらない“組織としての思考”に大きくかかわっている。

つまり僕たち国民なんぞ、たとえ平和憲法をかかげていようとも、官僚たちの心の奥底に眠る古い官僚思想にとっては、あくまで御国のために命を捨てることが当然の存在なのだ。

そしてその官僚たちと常にタッグを組んできたのは、明治以来の御用商人であり、後の財閥であり、現在の経団連以下の諸企業である。

図式はまったく変わっていない。

 

そう考えれば、被災者だのなんだの、官僚の動きがなぜこれほどまでに鈍いのか、容易に説明がつく。