✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 7/7(土) ②雑感(1)

 断酒580日目。

今日は七夕の日ではなく、本来の七夕は、今年は8月24日にあたる。

本来秋の行事である七夕を、そのまま新暦に持ってきてしまうから、梅雨の最中に七夕がおこなわれるようになってしまった。

これじゃ織り姫と彦星が天川で出会ってデートできるはずがない。

ビジネス界では西暦を使うことが王道となっているのだから、せめて日本の元号を使う時には、従来の旧暦(太陰太陽暦)に戻した方がいいんじゃないだろうか。

最近夜中まで起きていることが多く、今日は2回も寝直して、8時過ぎ起床。

また今日から早寝を心がけよう。

 

 

日本人が、綿綿と続いてきた歴史の記憶から断ち切られてしまったのは、すべて明治政府の政策による。

 

わずか150年前まで広く使われていた江戸の変体仮名を読める人間はほとんどいなくなり、歴史もゆがめられ、寺は破壊され国家神道という形で神道自体も変質してしまい、暦もめちゃくちゃ、日本人が自分たちのルーツを失ったのは、すべて明治維新による。

 

当時の西洋列強によるアジアの植民地化というものがあったから、それまでの旧態依然とした徳川幕府のご政道からの呪縛を断ち切らなければ、日本もいずれ植民地化されてしまうという恐怖感を考えれば、致し方なかった面もあるだろうが、その断絶が政治だけでなく、民俗にまでおよんだことは大いなる失敗であった。

 

その一種むちゃぶりの政治体制が作り上げたのが、現在の官僚政治であり、それは明治維新以来脈脈と続いていること。

なんて話すと、多くの若い人がびっくりしてこっちもびっくりするけれども、これがいまの日本の根底に流れているものであることは間違いない。

 

多くの識者が、日本の官僚体制からの脱却をと主張してきたけれども、明治維新のやむを得なかった改革(としておこう)が、いまでもそのまま通用するはずがないのだ。

ところが若い人に限らず、日本人の多くが、

「戦前の日本と戦後の日本は違うもの」

「戦後の日本は帝国主義から民主主義へと舵を切り、新しく生まれ変わった」

と信じている。

それはまったくの認識不足で、敗戦をむかえた官僚たちが、自分たちの既得権益を守るために、占領軍すなわちほぼアメリカの政治家や軍人と妥協できる形を模索しながら、組織温存をはかっただけのこと。

官僚体制は敗戦もなんのその、いまだにほとんど無傷で存続し続けているのである。

 

彼らはそこで味を占めた。

それまで軍部に抑えつけられ、次には占領軍に抑えつけられていたが、

(これは、形だけの民主主義政党を復活させれば、自分たちの組織は温存できる)

ということを学習するいいきっかけとなってしまった。

 

だから官僚たちにとっては、経済界や一部政治家などの支配層とスクラムを組んで、政治家をコントロールできればそれでいいのである。

 

政策の立案は国会にはない。彼ら官僚の手の内にある。

そして責任をとるのは官僚ではない。うまく操られた政治家である。

叛乱分子となった政治家や、検事など組織内の跳ね返り者は、脱税だの情報漏洩だの、ありとあらゆる不利な部分を見つけ出しては、これをマスコミにリークしたり、検察に働きかけたりして、つぶしていく。

それでもシュンとしない反骨精神を持っていた鈴木宗男氏のような人間は、刑務所に叩き込んで息の根を断つまでのことは平気でやってのける。

だから勇ましいことを言い続けている橋本市長も、実はさほど筋が通っていないというか、組織の基盤がないから仕方がないとはいえ、国家官僚と手を組もう、経済界と手を組もうとしている図式が見え隠れしていると思う。

 

再稼働に関して、橋本市長が急にトーンダウンしたことに失望した国民も多いだろうが、彼の体質は、基本的には体制内改革派に過ぎないと言うことを覚えておいた方がいいと思う。

いや、もしかしたら自分が天下をとるまではあるていどの妥協が必要だと深謀遠慮を働かせているのかも知れないが。