✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■1/15(火) 今日は人生の垢落し。

今日はO君との約束だからはずせない。

奥さんも楽しみにしている様子なので、1泊旅行へ。すごく近場だけど。

マッサージをやってもらって、ひさびさにゆっくりしよう(おごってくれるそうだから)。

 

今日も翌日も、大露天に入っては読書の時間を過ごすつもり。

以前だったら露天に入ってはビールと昼寝だったけどな。でもそうしないととれないぐらいの疲れだった。

 

同じ疲れでも、「自主的に疲れる」のと、他人から予期せぬ指令が飛んできて、ムッとしながらやる仕事では疲れ方が違う。

 

いくら年齢的に上だとはいえ、他の部署から突然異動してきて、当時30代後半の、班長になって最前線で闘っていた僕を呼びつけ、あれやれこれやれと言い始めた男を一発殴ってやろうかと思っていたすぐ後、辞めることになってしまったんだけれども。

 クリエイティブな仕事に体育会的体質を持ってくること自体ムリがあって、それが組織であり会社であることは重々承知していながらも、自ずと限度と遠慮ってもんがあるだろう。

 

と、いうのが、同じ部署で10数年働いてきた古参兵の言い分だった(-◇ー;)。

 

まあそれが原因で辞めたわけじゃなかったけれども、後から話を聞いたら、僕が退社したのを皮切りに、同じ職場や隣りの職場、元同じ職場の人間を中心に、1年間で10数人が退社願いを出したと聞いて驚いた記憶がある。

 

会社には感謝100パーセントなのだが、どんな組織も同じらしく、上ばかり見ている中間管理職(お役人)が組織を腐らせてしまうというのは、我が社でも同じことだった。

そんな人間の言うことより、創立者たちが、リヤカーに刷り上がったばかりの本を積んで書店に引き売りしたという話の方に、よほどシンパシーを感じたものだった。

 

もちろん辞めた若い人たちはそうした出版社らしからぬ会社組織になっていったことを嫌って辞めていったわけで、別に僕を追いかけたのではなくて、ただ僕がダム決壊の最初のほころびになったということなのだろう。

 

しかしそうした辞め組の明暗は、組織に属しているよりもはるかに人生コントラストが強くて、消息がわからなくなっている人間も大勢いる。

まあそれが、組織をやめて独りで生きて行くことを決めた人間の背負った定めなんだろうけれども。

 

僕は十数年間、人さまからの借金やカンパをしながらも、かろうじて生き延びている。

そしてようやく、子どもたちの人生の大事にかかわるのも、指折り数えるほどになってきた。

人に迷惑をかけながらも、よくぞここまで持ちこたえたと思う。

 

今日は少し、垢を落として来ようと思う。