✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

僕なりの文章修行術④

 誰もパソコンを持っていない時代に、僕は自分のボーナスで買ったパソコンを編集部に運んだ。

 

順番はちょっと逆になってしまうが、では具体的にはどうやったら構成力を磨けるかというと、もともと構成力のある人間は赤鉛筆(シャープペンの赤)1本でオーケーだし、構成力に自信がない人間は、それに加えて青、緑などの鉛筆を複数。さらに自信がない人間は、ハサミとセロテープやノリを加えればそれでいいだろう。

「え? 文章の構成を見直すのにハサミとノリ?」

と疑問に思う人が多いと思うが、そうなのである。

これが、僕らの世代がラッキーだった“端境期を生きられた”ということなのだ。

 

そもそもその時代というのは、編集部にパソコンがまだ1台も無い時代だった。

もっとも早くパソコンを採り入れ、そのメリット、デメリットや、パソコンを使ってどんな仕事ができるのかの展望、もっとも大事だったのは、ようやくインターネットが流行りだして、ISDN回線が自由に利用できるようになり始めた時代だったのだ。

 

ところがその肝心な回線が、出版社の編集部には通っていないという体たらくだったのである。

当時もうそろそろ30歳になろうかというとき、会社に備品としてパソコンを申請したのは僕が最初だったし、却下されたのも僕が最初だった。

会社側の言い分=物事をなにも知らないすぐ上の先輩の言い分はこうだった。

「パソコンてさ、中にゲームがいっぱい入ってるんだろ? ゲームなんか必要ないじゃないかというのが取締役の言い分でさ」

今でもそのときの感情を覚えている。

「お前らバカか!?」

と。

こっちが会社でピコピコゲームをやるためにパソコン申請したと思ってるのか? と叫びたかった。

当時は富士通でもNECでも東芝でも、パソコンを売らんがために有料のパソコンゲームソフトを何種類か、無料でパッケージしていたのである。

ったく、中に入れるのをワープロソフトとか表計算ソフトとかにとどめておいてくれればいいものを、かえってビジネスチャンス減らしてんじゃないのか!? と、メーカー側にも文句を言いたかった。

こうしてマーケティング能力の欠けたメーカーと、勉強不足の先輩&取締役とに阻まれて、パソコンを入れることができなかったのである。

(だいたいインターネットすら触れたことがない人間を、どうして会社の情報戦略室みたいな部門の長に配属するんだ!?)

 

たとえインターネットはできなくとも(携帯電話もない時代だった)、パソコンソフトをいろいろ試してみて、どんなものか勉強することは必要だったはずである。

今後世界中の人間と即座に話しのできるインターネットとかメールってどんなものなんだろうと興味を持つのが出版に携わる人間が当然持っているべき好奇心じゃないんだろうか。

事実、同じ出版社であるマガジンハウスではいち早くパソコンを導入していたと聞いたときにはよけいに頭に来た。

 

で、僕は仕方なく当時でも40万円だったか50万円だったかのパソコン本体とモニターにプリンターを自分で買って会社に配達させた。

なけなしのボーナスは一気に消えたが、これでアンカーマンの先生方(原稿に最後の手入れをする人たちで、ほとんどが作家か作家崩れで、ある面編集長よりも力があって、若い編集部員は神につかえるがごとく接していた)が抱えている富士通ワープロ専用機よりもはるかに能力の高い機械を手に入れたのだから、満足だった。

(しかしほとんど誰も追随する人間がいなかったというのはどういうこっちゃと思ったが……若い新入社員からそうした声が聞こえて来なかったのは、はたして知識がなかったのか、パソコンに興味がなかったのか、あるいは会社にダメだと言われたからすごすごと尾っぽをまいたのか知らないが、いずれにせよ情けないことに間違いはない)

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僕が買ったのはアキアという小さなメーカーの製品だったが、なぜかというと、当時液晶画面を導入したパソコンセットというのは、そこしかなかったからだ。

古いブラウン管タイプ(というのかなんというのか)だと、長時間画面をにらんでいるだけで、目が充血して開けておくのも困難になってしまうぐらい目が疲れたから。

高いのはわかっているけれども、1日何時間もパソコン画面に向かい合うならば、これは必需品だろうとは考えてかったのだが、これは大正解だった。

 

その後パソコンにはゲームがいっぱい入っているからとのたまわった偉い役員の方が退社なされ(もっと早くいなくなれ!と呪った)、ようやく編集部にも自由にパソコンが入るようになってきたのはいいのだが、それらを使っている編集者の目は充血し、あちらこちらにドラキュラだかゾンビだかがいる状態となっていたのだからw。

 

それはさておきパソコンを触る人間が増えてきたこともあって、会社としても

(これはどういうことなの?)

と心配になったのか、各雑誌の若手編集者から、

「机でインターネットができるように電話線を引いてくれ!」

という声が高まってゆき、とうとう全社的な工事が始まった。

絨毯を剥がし、これまでのただの電話線にプラスして大幅な拡張工事を施し……

「これで良かったじゃないか」

と、パソコンを入れてくれなかった先輩が言ったけれども、天邪鬼の僕は、

「そうですね。これで全世界の人間と一緒にゲームできるようになりましたからね」

と答えたために嫌がられた。

「そうは言っても、会社ってそう簡単に動かないものなんだよ」

と先輩は言い訳していたが、それを会議でしゃかりきになって、

「世界中のマスコミではネットを使って記事のやりとりをするのが主流になってます」

と、資料を片手に役員どもを説得するのが先輩たる人間の仕事だろう。役員に頭を下げることしか知らない人間を上司や先輩に持つと、こういう要らない苦労をするハメとなる。

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とりわけ当時年に1人しか新人編集者をとらない文藝春秋という出版社の優秀な人ばかりを小さい頃から見てきた僕にとっては、こうした先輩編集者はバカに思えてしかたなかった。

「進取の精神」

というのが、なにも感じられないからである。

(これじゃ一生、文藝春秋は越せないな)

と思ったことが、その後早期退社をした契機のひとつになっている。

まあ、今さら言っても詮のないことだが。

 

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さあて、また“話が飛ぶ”という僕最大の欠点が出てきてしまったので、話を元に戻す。

文章をとにかく原稿用紙に書き上げたら(うまい、ヘタは一切気にしないで! 文章も勢いよく書く。あとからいつでも修正は利くので。従って字を上手に書く必要はない。むしろヘタな字の方がいい。「文章を書くリズム」がいちばん大切なので、そのリズムを止めたり変えたりしないように!)、推敲――つまり見直し作業が必要となってくる。T

⇒文章の書き方については後日たっぷりと。

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まずは苦労しつつ自力で書いた文章が目の前に出来上がっていると仮定しよう。

ここに赤鉛筆なり赤ペンなりで修正を入れていくわけだが、名文家の司馬遼太郎ですら、複数の色鉛筆を使い分けているのを、なにかの写真で見たことがある(作家の書斎、みたいな本だったような気がするが、食費には代えられずにブックオフに売ってしまったらしい😢)。

漢字の間違い、前後の文章で同じ形容詞を使っている、あるいは同じような表現が短期間のうちに重複して出てくる、文法としてor語法としておかしい、送り仮名が違っていた――この程度の修正ならば、赤鉛筆1本で足りるだろう。

しかし、

「どう考えてもこの文章をブロックごとこっちに移した方がいい」

というレベルになってくると、色鉛筆だけでは間に合わなくなってくる。

いくらブロックごと別の場所に移すといっても、前後のつながりが必要なのは当然だから、最低でも接続詞の直し、あるいは加減が必要になってくるのだから。

さらに移植する文章、移植される文章に、文法・語句・誤字・脱字・形容詞などの誤りを修正してくるとなると、原稿用紙そのままではあまりにも複雑になりすぎて、

「→ P.59へ」

とページ数を入れるぐらいでは間に合わなくなってくるし、後から見たとき自分でも

(あれ?)

と混乱することになりかねない。

こうなると、色鉛筆を複数用意しておいてもカバーしきれない状態になってくる。

そのとき我々端境期社員より上の編集者たちはどうしていたか。

 

原稿用紙をハサミで切って、ノリやセロテープで移動先に貼りつけ

 

ていたのである。

なんとまあ原始的な……

と若い人はあきれるだろうし、僕だって思い出すとなんだか

(俺はネアンデルタール人かよ)

なんて気になってくる。

ところが考えてみると、当時そうした前時代的なことを経験してきた おかげで狩りのやり方(=文章の書き方、構成のやり方)を体得できたことは確かである。

 

そう言えば、司馬遼太郎さんもそうだったが、最後まで手書き原稿にこだわる作家は大勢いる。

 

数年前には林真理子さんが雑誌『AERA』のインタビューで、

「書き始めると、手が勝手に動きだすんです。手がどんどん動いて、主人公が勝手にしゃべって、物語が進んでいくときがある」

と話す林さんは、小説もエッセーも手書き。原稿を書く速さには定評があり、一日に原稿用紙30枚を書くことも。

「精神的なものが頭と腕の中間あたりにいる気がしますね」
 手を動かして書くことで、脳のイマジネーションをつかさどる部分が刺激され、鍛えられているのかもしれない。
 
と答えている場面がある。
とりわけ作家は、パソコン世代であろうがなかろうが、文章に定評のある人たちは、間違いなく手書きの人が多い。
名文家である丸谷才一先生もそうだったし、野坂昭如先生もそうだった(ただし野坂先生の場合は“機械恐怖症”的一面があって、ファックスひとつとっても出入りの書生さんにやらせていたが、頭の中で、なぜ手書きの原稿が電話のボタンを押すことによって出版社に届くのか理解できず、それが苦手意識につながっていたようだが。
さすがはエロ事師たちでデビューしただけのことはあり、先生の頭は「8ミリフィルム」で止まっちゃったんだと思うが😅。
 

まあ、だとしたら、最後まで手書き原稿にこだわる編集者がいてもいいはずだし、原稿をハサミで切り貼りするといった原始的な方法をとる編集者が多くてもおかしくはないはずだ。

そして構成力は、ごく簡単にコピペなんかするよりもはるかに身につくのである。

だって他人の原稿にハサミを入れて、ジョキジョキ切ってしまって他に貼りつけたりするから真剣も真剣なのである。

(だから必ずコピーを取っていたが、これだって時間がかかるわ、かかるわ……編集作業が明け方になったりしたときなど、原稿ぜんぶをコピーするなんてと絶望的な気分になったものだ)

かく言う僕も、編集者時代にクセがついてしまったワープロorパソコンでの入稿を早く直して、手書き原稿に戻りたいと思っているが、今はとにかく食うに必死だから、まだそこまでの覚悟が定まらないでいる。

 

もし構成力を身につけたいなら、自分で書いた原稿を、実際に切り貼りしてみよう。複数の色鉛筆でああでもない、こうでもないと、原稿用紙の余白にびっしりと修正を入れてみよう。

この図画工作みたいなことを実際にやってみれば、あなたの構成力は確実に高くなっている。

ハサミとノリ。

僕は真剣にそう言っているのだ。