✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■5/26(日) 断酒936日目(130526)

■朝8時半起床。

夜、ようやく電話口に出た娘を叱ったり、いろいろ今後の話をしたり、もうすぐ終わりそうだったビデオを観たりしてたから、寝るのが遅くなってしまった。

理想の睡眠時間8時間には足りない。

しかしそうも言っていられないから、午後からゆっくりとまた仕事を再開しよう。

 

ofunaの植物園に行って1日過ごし、翌日は疲れからダウン。そしてさらに金曜日に調子が悪くなって電車の時間もわからなくなっていたから、

肉体← →

という関係が、疲労にしても回復にしても、密接につながって絡み合って混在しているのが人間という存在なんじゃないかと、つい数年前までよく理解できなかった理屈を、現在身を以て体験してるという感じ。

 

昼はまた温しゃぶを食する予定。

 

■数年前、父の写真を整理していたときに出て来たのは、独りだったのかあるいはカメラのシャッターを僕の知らない女性とお付き合いしていたのか、父がどこかの古い漆喰の塀の前で笑っている写真。

どうも背景からして、京都ではなく、奈良のように思われる。

そんなところに出かけていたなど知らなかったし、それがいずれ僕も同じように、どこかへ独りで出かけていって、そのことについて子どもたちはまったく知らず、写真として見て初めて気づき驚くということになるんだろうなと思った。

 

そうしたことを考えると、やはりデジカメで残しておいた写真というのは、複数の人間が後から見るにはかえって不便で、昔ながらのアルバム写真の方が優れているんじゃないかと思う。

あくまでそうした写真を後生の人間、とりわけ遺族に見せたいのならばという条件がつくが。

僕もここ数年けっこう溜まった中からピックアップをしておき、それをお金のある時にショップまで持って行って人数分焼いてもらおうかと思っている。

 

娘の問題がおおかた片付いたとしたら、次はようやく自分の番だ。人間が純粋に自分のために時間を使える年齢というのは、せいぜいが小学校低学年までと、死ぬ数年前までの短い時間じゃないだろうか。

結局その間は、人それぞれまったく違うだろうが、夢のように生きて行くしかないのだろう。いや、夢そのものなのかも知れない。

 

技術の進歩はいちじるしいモノがあるし、ファックスや調べ物をするのにわざわざ大谷文庫まで電車で通ったりしていた時代に比べれば、僕の若い頃だってかなり世の中便利になりつつあって(テレックス室とかいう専門の部署まで存在していた)、それなりに文明を享受させてもらったが、それにも限界があるのではないかと思う。

古いタイプの携帯が出現しただけでも相当に便利だったろうし、現在のスマホだのクラウドなど日進月歩の機器が次々と出ている現在、なんだかもう十分なような気がしないでもない。

つい数年前まで、若者が車をこれほど買わなくなるとは、少なくとも国内メーカーの誰もが思っていたように、文明の機器、利器についても飽和状態はすぐ目と鼻の先まで迫っていて、さらにそれを乗り越えて発明されるモノは、寿命がさらに短くなっているのではないだろうかと予想する。

 

人間、根本としてやることやらなくてはならないことについて、さほど変わりはないんじゃないかとも思う。