✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 11/18(日) ルーティン・ワークの罪と罰。

寝てるんだか起きてるんだかわからない状態で膝の運動をちょこっとやってから起床。時計を見ると6時5分前。

なんだよ……6時まで寝てたのと変わらないじゃん(-◇ー;)。

 

仕方なく起きだし、はとむぎ茶を煎じながら、膝、肩の関節運動の続き。そのうちにテレビ体操。

「なぜそこまで」

と電話で友人にあきれられたけど、人間というのはなにも考えないで体が動くことをいくつか定着させておくと、心身ともにラク、なのだ。

ただしラクだからといって、すべてにおいて何も考えないと、深く考えないまま原発の立地に応じたり、時の支配層の言いなりになってしまう。

 

あの戦争だって、深く考えようともせず、

「お国のためだから」

という言葉ひとつで戦地に赴いて死んでいったのではあるまいか。

個人で死ぬのは勝手。しかし戦争というものは個人のものではなく、必ず周囲の人間が――赤ちゃんだろうがお年寄りだろうが――巻き込まれて死んでいくもの。

原発の構図と、根本はまるっきり同じじゃないか。

何も考えないことと、深く考えることの両方が必要じゃないかと思う。

 

楽しい職場、やりがいのある仕事なら、自分の脳細胞をフル稼動して深く考え、行動する。代わりに、家事を含む生活リズムについては、もうロボットのように自動的にこなしてゆく。

 

ストレスの多い職場、イヤな人間関係の多い職場なら、もともと感情の欠けたロボットのように淡々と命じられたことをこなし、その代わり退社後にジムに行くなり、映画を見るなり、真っ直ぐ帰宅して読書するなり、趣味に没頭したり、全身全霊で考えながら振る舞う。

 

たとえばだけど。

 

テレビ体操後、膝関節の基本運動の半分だけやって(残り半分を寝る前にまわした方がいいような感じがしたから)、出来上がった熱々のはとむぎ茶を飲み、ゆったりと静かな音楽を流しながら、パソコンに向かっている。

チーズでもかじりながら、読書の予定。

今日は気持ちよく晴れそうだ。