✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 12/14(金) 孤独感は、必ず克服することができる(1)

年齢的なものもあるだろうけど、徐々にだが、ようやく独りで最後をまっとうする覚悟が、自然とできてきた。

これは最初にいきなりガツンとハードな寂しさに襲われたことが、結果としてよかったんだと思っている。

 

  • 元妻とその父母とのケンカに堪えきれず、家を出て独りで暮らし始めたこと。
  • 心底子ども好きな自分が、いきなり子どもふたりと断ち切られたような別れを余儀なくされたこと。
  • 東京の実家に戻って暮らし始めたが、そこにはすでに家族もおらず、物心ついてからの思い出さえもが、強烈な孤独感として襲ってきたこと。
  • その実家は駅前に建っていたごくふつうの木造二階建てだったが、周囲はすべて雑居ビルで、夏でも1日2時間しか日が当たらない暗い部屋だったこと。
  • 二階には弟や自分が残してきたガラクタ、55歳で死んでしまった母の遺品、その母が愛してやまなかった両親、つまり僕の祖父と祖母の遺品が詰め込まれていて、一階の庭に面した部屋で寝起きせざるを得なかったのだが、外壁一枚隔てた隣りがパチンコ屋で、朝から晩まで玉がじゃりじゃり流れる音、怒鳴り立てる店員のアナウンスが鳴り響くという最悪の環境だったこと。
  • 暖房器具は父が買ったらしい錆びだらけの小さな電熱器ひとつ。布団はぺちゃんこの埃だらけ。そこにくるまるようにして寝ていたこと。
  • そこにかつて自分が使っていた勉強机を置いて、執筆をしていたこと。
  • 目の前の雑居ビルの2階が学生相手の居酒屋で、路地の奥にあった実家まで、寄った学生が入り込んできて、ゲロや立ち小便をしている音が、サッシの向こうから聞こえてくること。
  • 明け方まで、パチンコ屋の店員やら酔っ払いやら、誰かがうごめく音が聞こえて、安眠などほど遠かったこと。
  • しかしそれでも、出て来た家の住宅ローンを支払い続けない限り家が競売に出されてしまうから、歯を食いしばって小説を書き続けなければならなかったこと。
  • 銀行や、やむを得ず生活費として借りたカード会社からの借金催促の電話が、始終鳴り響いていたこと。

数え上げればキリがない。

よくもそんな環境でパソコンの前に座り続けたものだと思う。

しかし、どうしても孤独感に堪えられず、酒に手が伸びた。

もともと酒好きだったが、孤独感をまぎらわせるために、つまり酔って精神と感覚をマヒさせるのが目的で、酒を飲んだ。

一日中家が暗いから、酔っていると、いったい何時なのか、次第に昼も夜も区別がつかなくなっていった。

そのうちに、朝起きると、メシの代わりに、何リットルか入りの焼酎ボトルを開けて、氷も水も無しで飲んでは、また机に向かった。

子どもたちに会いたくて会いたくてしかたがなかったが、どうすることもできず、ひたすら街を徘徊した。

自分が幼稚園、小学校、中学高校と過ごした街に、なにか救いがあるような気がして、ひたすら歩き回った。

3時間4時間歩き回るなど普通で、喉が渇き腹が減ると、食事代を酒にまわして、コンビニでビールでも焼酎でもなんでもいいから買い込み、サキイカとかちくわとか食いながらベンチで寝ることもしばしばだった。

心配した友人というか、もと僕が担当していたフリーランスi女史が、底抜けに明るい街だし、毎日海を見て過ごせるというので、2年近く売れなかった家がようやく売却できたのを機に(なにしろ路地のどんづまりで、しかも借地で、陽当たり最低で、世の中がちょうど不景気になるという最悪の条件がそろっていたから、父が死んでから弟と遺産分けをするために売り出しても、まったく買い手がつかなかった。それも70歳を越える地元の不動産屋の親父さんが、知り合いのよしみもあって、三井のリハウスだの東急リバブルだのがサジを投げたような物件を、知り合いの建設会社の社長に橋渡して売ってくれたおかげだった)、chigasakiに移り住んだ。