✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 11/8(木) ああ、でも誰もいないんだ。

朝からスコーンだのかじりながらプロット作りを勧めているのだが、なかなか進まない。今日の夕方までにはなんとしてでも送りたいんだけど……

 

しかしなにか迷ったときに誰かに意見を求めようにも、誰もいないんだなと思うと、やはりぼっかりとどこかに穴が開いているような気がする。

ときどき友人からメールが来るけど、毎日1本でも来たらいい方で、1日誰とも口をきかないどころか、めーるひとつないなんて日もめずらしくはないから。

 

あと15年生きるとすると、毎年夏にでも娘が会いに来てくれると無理な仮定をしたって、あと15回しか会えないことになる。

しかし足もとを見てみれば、収入は乏しく、なにか印税で遺せるような作品はゼロだし、第一泊まりがけで遊びに来てくれたとしても、僕が家庭料理を作ったり、せいぜいが安いイタリアンでリーズナブルなランチをごちそうしてあげるぐらいで、帰りに持たせるお土産にしても、Tシャツ2枚とかが限度。

そんなんじゃ遊びにも来てくれないだろうし、いずれ大学に入って(かなり成績が悪かったようで、模試から判断する限り、志望校はまずムリだろうという状態。もし浪人したとしても、合格率が飛び跳ねて上向きになるなんてことは期待できない……)、友だちやボーイフレンドと遊ぶとなったらそっちを優先するのは当然だし、社会人になったら夏休みさえとれなくなったり、取っても親と旅行なんて行くはずもない。

僕がぶっ倒れて、医者からけっこうキツイことを聞いたら、あるいは一回ぐらいはお父さんを旅行に連れてってあげようぐらいは考えるかも知れないけど、まあそれも無いと考えておいた方がいいだろうし。

 

そんなこんなを考えると、娘と会えるのは、残りの人生でせいぜい10回前後だろうか。

 

そうなると、やはり独りで仕事をしているというのは、壮絶な孤独感との闘いだと思う。

もはや僕の周囲には誰も寄りつかなくなりつつある。幼い頃は、将来楽しみがいっぱい待っていると思っていたんだけど。

幼い頃は学校も越境してたし、中学高校は電車通学してたから、近所に友人もおらず独りで遊んできたけれども、年をとってからもそれは変わらなかった。

これからも正真正銘、独りなんだろうな。