✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 12/7(金) 便利だけど、ある意味かわいそうだな若い人(続)

僕のような半分世捨て人ならいい。

携帯そのものをやめてしまったって、ほとんど引きこもりで仕事をしてるんだから、IP電話さえあればなんとかなるのだ。

いやこれさえもメールですまそうと思えばできないことはないんだから、わずかな額でも払うのがキツイとなれば、光電話だけやめてしまうこともできる。

 

けれども学生や社会人にとっては、携帯やパソコン、iPadでもなんでもいいんだけど、情報機器は生きてゆく上で必須。

中学・高校・大学受験にも、あるないでは情報に大きな差が出てくるだろうし、模試ひとつ申し込むのだって、わざわざ予備校まで出かけていったり郵送したりする必要はない。

就職などもっとひどくて、携帯で情報収集が出来ない人間は我が社を受けなくていいとばかりに、紙媒体での情報提供がないところも少なくないそうだ。

 

この半ば強制的な代金の徴収が、簡単にできる人間はいいけれど、母子家庭しかり、家が借金漬けで首も回らないような生活をしている若い人間にとっては、死活を制する問題だ。

もちろん、各種情報機器を買ったり契約したりするのは自分の意志だけれども、どこか強制の臭いが感じられて仕方がない。

もしそうした生き方がイヤなら、情報をシャットダウンして、僕以上の世捨て人なるしか方法はない。

 

もはや世界だけじゃなくて、日本社会においても、些細なお金を払えるかどうかで、スタート時点からすでにふるいにかけられてしまうようになったのだろう。

後進国(発展途上国)における経済格差が、ようやく人々の努力によってある程度克服されて、先進国の仲間入りができたと思ったら、こんどは情報機器によって、経済格差がふたたび現実のものとなるという皮肉。

 

国民健康保険も払えないような家庭が、どうしたら携帯代を払うことなんてできるんだろう。そしていまや、そんな家庭はめずらしくもなんともない。そこら辺にごろごろしている社会となっているのである。