✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 9/9(日) ①朝メモ。

断酒644日目。

11時就寝4時覚醒するも起床すること能わず。

5時半にたまたまかけておいたアラームで目を覚ます。

体が睡眠を欲しているようだ。明日から6時起き、場合によっては7時起きに変更しようかと。

朝晩だいぶ涼しくなってきたので、超早起きしなくても(&エアコンがなくても)、少しゆったりしていられそうだから。

 

昨夜たまたまNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で高倉健氏の番組を見てしまった。

『網走番外地』など空前のヒット作に関しては、僕よりふたつ以上世代が上の人たちと印象がまったく違って、以来高倉氏の映画はほとんど観ていない。

申し訳ないけれども、どの映画も氏の俳優としてのカラーに染まってしまって、それについて氏は一家言持っているようだが(明日のスペシャルインタビューの予告で「なんでもできるカメレオンのような俳優は……」発言)、どうしても興味がわかなかった。

なにしろ小説に関しても映画に関しても、洋モノ志向&嗜好であるからして。

 

しかしそれと人間としての生き様とはまた別のモノで、これは人生の先輩として素直に耳を傾けておきたいことが山ほどあったし、明日はもっとありそうだ。

 

人にレッテル貼りをして処理してしまうタイプの人間の欠点として、

「あいつはイヤな奴だから」

と決め込んでしまうと、以降その相手の言行をいっさい拒絶してしまうところがあげられる。

 

どんなにイヤな相手でも、必ずひとつは勉強になるところがあるのではないかと虚心坦懐に耳をかたむけ、それでも得るところがなにもなければ、その時初めて態度を決めればいいのであって、これは本選びとまったく同様なことだと思う。

 

たとえその小説なり批評なりの主張やらトーンやらが自分の思考とはかけ離れていたとしても、1作品の中に数行でも心に染みる文章を見つけることができれば、それは読者の側としての勝利だと思う。

(小説などにおいては、これは好みの問題が大きくからんでくるから、最初から受け入れられない、読めないケースも多いだろうが)

 

別に高倉健氏がイヤな奴と言っているわけではないので誤解してもらいたくないのだが(^_^;)、人生を70年80年生きてきた人間には、必ずや一家言あると思っていた方がいい。

たとえお小言を言われたり説教をされるハメになったとしても、とりあえず懐に飛び込んでいくぐらいのつもりでなければ、人間というものの深い内面の葛藤を知ることはできないと思う。

 

そうした葛藤がイヤだからこそ、表面だけ泣ける笑える本が選ばれる理由のひとつになったのだろうけれども。

 

さて今日は8時から開始。

これは筆が立ちすぎてあまりに技巧的すぎると感じ、また人間としてもあまり好きではない浅田次郎氏が、一滴も酒を飲まず従ってバーなどに通うこともなく、ひとり家で原稿用紙にひとつひとつ文字を埋めていく作業について、

「これ以上セクシーな作業もないんじゃないか」

と発言していたが、このひと言にはそれこそ虚心坦懐に頷いてしまう。

人が酒を飲み、カラオケを歌い、土日の休みに家族旅行をしている間にも、休みなど関係なく、コツコツと文章をしたためてゆく。休みがあるとしたら、疲労でいっぱいになったとき。あるいは病気で倒れたとき。はたまた遠方より朋が訪ねてきてくれたときぐらい。

まこと、俳優や小説家など、これほどセクシーな職業もないと思う。

(おそらくアウトロー的なセクシーさなんだろうが。自己陶酔も入りかねないか……)

 

そのセクシーな職業について、高倉健氏がご自分の考えを表明してくれるというのだから、これほど興味の湧くことはない。

氏は肉親の葬式に出席したことがないという。孤高の俳優であり、孤独を自分の友として或いは手枷として責めを負い続けてきた求道者ではないかと、僕はかってに想像している。