✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 9/9(日) ②読書する時間がない……

昼寝をして、布団を取り込んだり、ふらふらとシャワーを浴びたりしているうちに、もう夕食のしたく。

夜は夜で頭がぼうっとして、ほとんど筆が進まない。やはり午前中に4時間前後根を詰めて作業すると、その時点ですでに限界に達してしまうんだろう。

読書もなんだか進まない。

 

いったいこの職業の欠点は、好きな本が読めないという、思いも寄らなかった副作用である。

どういうことかというと、読むのはほとんどが資料で、面白そうなサスペンスなり、古代生物の図鑑なり、火山についての本なり、そうした純然たる楽しみで買ったはずの本に手が伸びないのだ。

少しでも時間があると、仕事に関係のある資料本(もちろん2次3次資料。1次資料に当たることもあるが、効率を考えるとこれも楽しみのひとつと考えた方が無難。僕らは学者ではないのだから)を手に取ってしまう。

 

目が疲れることもあって、先月LEDスタンドを買ったけれども、それ以外にも目薬2種、ブルーベリーのサプリにルテインのサプリが必需品なレベルだから、読書からよけい離れてしまう。

 

休みの日を作って読書せざるをえないのだが、どんなに時間を作ったとしてもせいぜい週に1日。

出かけるとなると、やはり心も体も爆発して発散したくなるらしく、つい映画だのウォーキングだの、読書以外の行動にエネルギーを費やしてしまう。

 

だからインプットとアウトプットの両方が大事だとわかっているのに、ついアウトプット優先となってしまう(僕の解釈だけれど、資料以外のまったく関係のない読書からこそインプットしなければならないんじゃないかと思う)。

結局、今の自分を支えているのは、小学校の時から読む本には困ることのなかった家庭環境や、中学高校大学とむさぼるように読み散らかしたこと、さらには編集者として必要と思われる読書といった、過去の遺産しかないと思う。

 

ある程度収入が安定してくると、そうした本来の純然たる読書の時間をとることができるので、収入そのものではなく、むしろ自由な読書時間というのがうらやましい。

(お金もうらやましいが……)

なんとか自由な読書をする時間をひねり出せないか、考えている最中だが、これも一種の職業病といえるのかも知れない。