✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 9/12(水) ①朝メモ。求道者について雑感。

断酒547日目。

11時前就寝。5時前覚醒。6時起床。夜中の静かな雷雨のせいか、涼しい。

たまった疲れがとれない。たまにはシャワーじゃなくて風呂で温まらないと……ガス代のセーブにも限度があるな。

先月の請求なんて1500円ちょっとだったし(^◇^;)。けっこう料理してもこの値段なんだけど、冬、毎日風呂を入れたり追い焚きを始めたとたんに料金がはね上がる。

浅草にでも近ければ、安いどてらなんか売ってるのに。

 

高倉健氏、やはりというか、孤高の人だった。

氏の出演する映画に対しては、申し訳ないけれども食指が湧かないのだが、人間として優れた、そしてきびしい人だなと。

 

僕が編集者時代、尊敬に値すると思ったわずか数人の編集者のうち(「17年間勤めて、たったの数人しかいなかった」という現実を、ちょっと頭の隅に入れておいて欲しい)、N氏という方が、なんとか高倉健インタビューを実現しようと努力していたんだけど、当時の高倉健は頑として人前で自分を語ろうとはしなかった。

かなり長い時間だったと思うが、N氏は断りの返事が事務所から届いても、手紙を書き続けた。

定かではないけれども、24通ぐらい出したと別の人間から聞いたことがある。

それで、高倉氏はようやくインタビューに登場することを承諾し、当時では希有なページを組むことができた。

 

誠実な人間に対しては、誠実な態度こそが物を言う。

まだ入社数年の駆け出しだった僕には貴重な勉強となったが、誠実な高倉氏、もう断りようがなくなってしまったんだと思う。

 

N氏のこと、尊敬できる編集者とはどんな人間のことを言うのかについては、また後日しゃべりたいと思うけれども、その高倉氏がおととい月曜日に、

「僕は、マージャンもやらない。銀座に飲みにもいかない。だから演技が面白くないんだなんて言われて。片岡千惠蔵さんからもマージャンひとつできないんじゃ、言い俳優にはなれないと言われてました」

と語り、映画がクランク・アップしてから数年間人前から姿を消している間、

「海外の物も含めて、小説を読み、ビデオを見」ながら己を見つめ、磨いているような趣旨の発言をしたときに、

(ああ……この人も孤高の人なんだな)

と強く感じて、それでいっぺんに親近感をおぼえてしまった。

 

これまでの僕の人生で、とりわけ若い頃、僕を可愛がってくれたのはほとんどみんな“孤高の人”だった。

実際、生涯伴侶をもたなかった先生もいたし(人生の時間のすべてを学問と若者の教育に捧げた人で、弱冠27歳にして「方丈記」の注釈書などを世に問うた方である。高校教師の肩書きで、このような本を出すというのは、とりわけ当時の学閥のなかではありえなかったこと。國學院の学生時代、碩学折口信夫氏先生から『ぜひともうちの研究室に入って欲しい』と誘われた英才であった。『僕には男色趣味はないからね』とおっしゃって笑っておられたが)、優れた業績を残した人のほとんどが独身か、あるいは離婚を経験してから再婚しなかったとか、そうした人物が多かった。

 

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この「孤高」という生き方は、すさまじいまでの覚悟が必要だし、家族団らん、家族サービスなんかしている暇があったら、自分の道を究めたいと思っている人たちであり、僕もそうした人間に憧れる。

 

もちろん、家族に恵まれ、後年孫たちにも囲まれて暮らすというのが本来の人間の幸福というやつなのだろうが、世の中にはそれに背を向けて我が道に邁進する少数の天の邪鬼もいるのである(男色ではなくして(^_^;)。

 

それは一種、中国の古典世界においては「仙人」として言い伝えられ、西洋の宗教的価値観から見れば「求道者」といった存在なんだろうと思う。

 

高倉健氏は、おそらく偶然俳優になっただけで(事実食うためだったらしい)、実は求道者なのではないだろうかと感じた。

つまり、他の職業についていたとしても、その生活になんら変わるところはなかったのではないかと思うのだ。

 

俳優論については多少異論もあったけれども、氏の出演する映画を、「求道者の記録」としてとらえれば、まったく次元の違った見方ができるのではないだろうか。

求道者はぶれてはならないのである。

だからこそ、一部悪口を言う人の中には、高倉健の出る映画は、みんな同じに見えるという人間もいるけれども、それも求道者の生き様として見ていれば、これまでとは異なった側面が見えてくると思う。

 

 

それにしても、もし僕がもういちど人間に生まれ変わることができたとしたら、よほど相性のいいパートナーにでも出会わない限り、やはり孤高の人を目指したと思う。

彼らの覚悟の足もとにもおよばないが。