■1/9(水) 大人のウソ。「酒と煙草」
この年になって考えてみると、世の中にはいかにいい加減な大人が多かったかということにあらためてため息が出る。
はたして会社でうまくいかないから、言い返せない周囲の若い人間に自分の強さ・賢さをアピールするつもりなのか、後から考えてみると極めて思慮の浅い言葉を数多く投げつけられたものだ。
(ふん。なに言ってやがんだい)
と、剛胆かつ知識もある若者だったらいいだろうけど、なまじ素直で、母親などから、
「先生や大人の言うことはきちんと聞きなさい」
なんて良い子教育をされて来ちゃった人間は、そうなのかなあ……ところっとだまされることが多いと思う。
たとえば煙草や酒。
これはいったい何人に言われたかわからない。
いちばん新しいのは元妻の父親(つまりかつて義父だった人)に言われた、
「酒も煙草もやらないなんて、人生いったいなんの楽しみがあるってんですかねえ」
という言葉(言葉づかいだけは妙に謙虚だった。これもヤクザと同じじゃないのかと今では思ってるけど)だった。
「はあ……」
とお世辞笑いするしかなかったけれども、その後年をとってきて、妻(つまり義母だった人)と力関係が逆転し、リビングで煙草を吸うことを禁じられてしまった。
義父が吸う場所というのは、台所の換気扇の下だけ、あるいは外に行って吸ってくれと言い渡され、リビングで掘りごたつに座って「NHKのど自慢」なんか観ながら酒を飲み(この歌番組を強制的に見せられるのがイヤで、そのうちに2世帯住宅の階下に住む義父母のところにはあまり行かなくなってしまった。「紅白歌合戦」だの「日本の演歌」だの「日本歌謡大賞」だの、年末年始にどうして好きでもないテレビを強制的に見せられなければいけないのか、イヤでたまらなかった)、煙草を吸いたくなるとこたつから出て換気扇の前に立って煙草を吸ってまた戻って来る……。
(そこまでして吸いたいのか)
と、だんだんと化けの皮が剥がれていくのを感じていた。
そのうちに医者から煙草を禁止され、それもあって義母はあまり酒についてはやかましく言わなかったものの、煙草と酒を人生の大いなる愉しみにし、他に趣味だの読書だのやろうと思わなかった義父にしてみれば、休日は夕方早めに風呂に入って酒を飲み始め、ずっと歌番組と大河ドラマなんかをごろりと横になって見ているだけという過ごし方となってしまった。
まだ若い当時は(物心がついてから20代前半ぐらいまで)――自分で言うのもおこがましいが――素直な性格だったから、そうした「大人のウソ」には簡単にだまされたり納得してしまっていたが、もし今そんなことを言われたらはっきりと言い返すことができる。
「しかしお義父さん。いちどきりの人生で、酒と煙草しか愉しみのないってのも情けないでしょう」
と。
素直すぎる人間は、長所と欠点の両方を持ち合わせていて、まったく人の意見に耳を貸さない人間にも困ったものだが、素直すぎると自分の人生を損なうことになってしまう。
「大人の言うことには素直に耳を傾けながら、どこかでそれを『ホントか?』と心の中に疑いの視線を持つ」
といったバランス感覚が必要になってくる。
とりわけ小学生・中学生の頃には、大人に向かって言い返すなんてなかなかできないから、それをいいことに、“一家言”言いたくなるタイプの大人ってのがいるものだということに気づき始めたのは、たぶん30代後半から40歳ぐらいになってからだと思う。もちろん酒と煙草みたいに単純な健康問題じゃなく、働くことや人生そのものに対する意見だったけれども。