✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 新しいギアもほどほどに……

さっきのお話の続き。

 

僕が現役のサラリーマン編集者だった時代、漫画誌の方から異動してきた後輩がいたんだけれども、彼が言うのを聞いて驚いたことがある。

それは、

「今どきの漫画家は、原作が書けないから、仕方なく原作者をつけてます」

っていうもの。

 

「は?」

という感じだった。

彼が説明してくれたところによると、

「今どき(とは言っても、もう20年ほど前の話なんだけど……)の漫画家は小説などを読まずに漫画だけで育ってきた人間が多い。つまり漫画を読んで漫画を描くということになってしまって、作品に深みが出てこない。絵は以前よりはるかにうまくなっているものの、自分でストーリーを組み立てひとつの漫画に作り上げることができる人間の数は、それに反比例するように減ってきた」

ということだいった。

つまり、小説なら小説といった別の分野に触れていないから、漫画家による漫画の再生産が繰り返されて、どんどん劣化していってしまったということ。

 

これって、細部はもちろん違うけれども、先ほどのギアと同じ現象なんじゃないだろうか。

便利なアプリを見つけて、取ってきて、みんながうらやましがるぐらいに使いこなせるようになったとしても、そのアプリは自分で作ったものではもちろんないし、それ以前にそのアプリを制作した人間がはたしてきちんとした勉強をしてきたかどうか――ともすると必要な部分だけをその分野の専門家に聞いただけという、実はお寒いアプリだったりはしないだろうか。

 

これを若いうちにやり続けるとどうなるか。

いつかは自分たちよりはるかに若い世代が擡頭してきて、あっという間に追い抜かれ、ちょっとやそっとの努力では抜き返せなくなっている――それっていつかSEの問題でも聞いたことがなかったか。

 

結局生き残っている人間というのは、自分がメインにすえた技術あるいは芸術などをこなし発展させつつも、別のジャンルでもきちんと基礎的な勉強をしている人間じゃないかと思う。

 

結局人間の生き方とか社会なんて、根本的にはさほど変化しておらず、ヘタをすると江戸時代とか、もっと以前に自然と確立されてきた習慣が、絶え間ない技術革新によって、

「一見別の革新的な手法」

に見えるだけの話じゃないかという気さえしてしまう(極端な例だけれども)。

 

確かF1レーサーの中島悟氏だったと思うけれども、

「今どきの若い人ってかわいそうだよね。僕らの時代はまだクルマの性能がさほどでもなかったから、逆に根本的なクルマの操縦法とかハンドルさばきとかを、身をもって学習していた。ところが今どきのクルマはもう性能が良すぎて、エンジンを回して走り始めれば、さほど腕はなくてもかなりのことができるようになっている。

しかし四輪が地面と接地しているのは、わずかハガキ4枚分のスペースでしかないことに変わりはなく、そこを勘違いしている若者が多い。もしクルマの性能が運転者の性能を上回ってしまったら、それは即操縦不能となって、大事故が起きちゃうんだから」

といった発言をしていたけれども、それだってたぶん20年も昔の話。

 

技術が日進月歩どころか秒進秒歩と言われるようになった現在、人間としての根源的な生存能力を鍛えずに、技術に振り回されてしまう人間がいかに多いことか(当人は技術を使い倒していると思っている)。

 

4枚のハガキがはずれてしまったとき、愕然として周囲を見回してみれば、結局自分の貴重な人生の時間は、すべて他人が作ったアプリを使いこなすことだけに使ってしまったという悲劇を生まないように願うしかない。

 

「世の中で流行が始まったら、それはすでに終わっている証拠」

 

これは誰が言ったんだか――もしかしたら不動産屋か証券会社の人間だったような気がする。