✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ いまの若い日本人がかわいそう。というより、気づいた方がいいよ。

おだやかどころか、風が強くなってきて、ときどき横殴りに。

昨日とはまったく違った天気でとまどうなあ。

 

たったいま、NTT東日本の週刊フレッツからメールが。

フェイスブックやツイッター(身売りの情報が出ている)だけではなく、Linkedinなど他のSNSがこんなにあるという特集だったけれど、

(最近の学生はかわいそうだな)

とふだんから感じていた印象がまた強くなった。

 

学生のみならず、今の若い人たちは、スマホを中心としたいろいろなアプリだのに手を伸ばし、あるいは時代から取り残されるのを恐れて手を伸ばさざるをえない状況におかれている。

 

これって、情報をやりとりする道具の使いこなしだけに終始して、肝心の情報の精度を深めるといった時間が削られてしまっているのではないかという印象なのである。

 

やらないと仲間はずれになると考えるのが日本人特有の部分だし、そうした道具(ギア)の発祥地であるアメリカでさえ、日本人がギアにのめり込んでいる姿を“異様だ”と感じているようだ。

形だけでも物にしたと思ったとたん、次の新しいギアが登場するのだから、いつまでたってもギアの使いこなし部分で右往左往するばかりじゃないのかと心配になる。

 

情報の中身の濃さは、やはり地道な読書や先生、先輩の導きから得られるもので、いくらギアの使いこなしが達人レベルに達しようが、結局は振り回されただけの青春時代ということになってしまうのではないかと。

 

たとえば哲学ひとつとってみたって、本を読みつつ逍遙するなどして思考を深めていくことが肝要であって、その逍遙の最中にずっとスマホの操作にかかりきり、情報発信も入手もほとんどメールかSNSというんじゃ、哲学の中身が深まるはずもないだろう。

ギアに使いこなされる日本の若者――技術のひとつひとつばかりじゃなくて、日本という社会、とりわけ若い世代を取り巻く環境は、もはや若者全体のガラパゴス化と言っても過言ではないように思う。

 

もちろん中にはそうしたギアに振り回されず、必要最低限に留めておいて、思考を深める、あるいは技能を磨く人間も存在しているわけで、日本では希少化しているそうした人間の数が少なければ少ないほど、彼らにめぐってくるチャンスは多くなる。

 

ここにも、世の中に振り回されずに、世間体など気にせずに、流行に一喜一憂しないで、我が道を行く人間の方が結局は大成するという事実が隠されていると思う。

SNSなどの新しいギアを発明するのはアメリカを中心とした西欧社会で、それに取り残されないよう必死で時間と金を投資する日本人――。

 

結局、使う人間と使われる人間というのは、いつの時代にも存在するのだなあという、どうしようもない結論しか出てこないんだけど。