✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 11/30(金) なんだかSNSが苦手な理由。

もう7年も前になるか、父が死んでから数ヶ月後、こんどは作家仲間だった友人のKくんが首を吊って自殺したとの電話が入ってきた。

1カ月にいちどは、車のないKくん(当時はまだ僕も車を持っていた)をピックアップして、主にファミリーレストランだけど、飯を食いながらいろいろお互いの苦労話をしていた。

 

彼はけっこう重度に近い鬱病だったけれども(鬱病というより、専門的にはよくわからないんだけれど、不安症の強いやつというか、だから外出することなどはできるし、けっこうエネルギッシュなんだけど、独りきりで部屋にこもっていると、急に堪えきれないような孤独に襲われていたようだ。それは僕もそうだったから気持ちの変化がよく理解できる)。

 

彼がそんな状態になってしまったのは、経済面での不安ではなく(そこは僕と違うところ)、広告代理店時代にかなり手痛い失恋を味わったことと、大好きだった父親が、病院に行くと必ず大変な病気になっているに違いないからと、不安を抱えながらただひたすら飲み続けた挙げ句、救急車で運ばれてそのまま帰らぬ人となってしまったことが大きいそうだったが、もうひとつ、2ちゃんねるでのバトルでかなりのエネルギーを費やしてしまったことを挙げていた。

 

Kくんは非常に優しいし、正義感の強い人間だったから、自分の意見を実名で書いていたのだが、これがある人間とぶつかってしまった。

その後はもう惨憺たる罵詈雑言のオンパレードだった(彼の死後、彼と共通の出版エージェントの人にスレッドを教えてもらって読んでみた。すべて読むには堪えないほどひどいものだった)。

「僕は二流の小説家に過ぎませんが」

と書き始めれば、

「お前は五流だろw 二流を自称するなんて10年早いわ」

といったように、議論もクソもない、いわゆる2ちゃんねる特有のお祭り状態だった。

 

挙げ句の果てには、彼の名前を詐称する人間があらわれ、Kくんの大事な仕事先の出版社の悪口をあることないことどんどん書き始め、また別の出版社の編集長から

「君ほどあつかいにくい作家はいない」

と言われたとか、ぐしゃぐしゃとはこのことかという感じだったのだが、真面目なKくんはいちいちそれに反応し、

「それは神にかけて誓いますが、僕ではありません。僕になりすましている貴方はいったい何者ですか」

などとやりあっているうちに力尽きてしまったようだ。

 

さらに悪いことには、そのなりすましが叫んでいた出版社の悪口を、当の出版社がKの発言だと思い込み、出入り禁止を食らって大事な仕事のひとつを失ってしまったことも、自死するに至る大きな不安感のひとつを作り出してしまった。

 

いや、いまそんな話をするつもりもなかったのだが、なんだかふと思い出して……。

しかしそうしたお祭りをやっている人間が、そのままツイッターとかフェイス・ブックに流れているわけで……

ぼくがSNSをやらない原因は、もしかしたらそんなこんなの潜在的な嫌悪感があるからかも知れない。

僕はどうも、これは自分の身勝手だが、

「長文を読む能力がない人間」

が信頼できないというか、

「もともと読解力のない人間が、短文で自分の意見を発信できる有効な手段」

として手に入れたのが、古くはニフティであり、続く2ちゃんねるであり、そして昨今のSNSであるような気がしてならない。

 

「言いっ放し」とか「捨てゼリフ」であっても、大人数に読まれるという快感……

おそらくSNSという道具は、そうした心に強い暗黒面を持った人間&人の意見を考える能力が欠落している人間をも、昼間の世界に解き放つという一面も持っていたんだろうと思う。

そしてブログではなく、SNSにのめり込んでいればのめり込んでいるほど、その人間にとてつもない違和感を感じてしまう(もちろん、反原発であるとか推進であるとか、大学のサークル活動であるとか、意見表明や組織運営などに使っている場合は別として)。

 

はっきりと覚えていないのだが、むかし世界のジョーク集に日本人をネタにしたものがけっこうあったのだが、そのひとつに、

「ある日仕事が早く終わったので家に帰ったら、自分の女房が、見知らぬ男とベッドで裸で抱き合っていた。

アメリカ人だったら、「訴訟を起こしてやる!」

と怒り、

ドイツ人(イギリス人だったかも知れない)だったら、「決闘だ!」

と叫び、

日本人は「私はこういう者ですが」

と言ってまず名刺を出す」

なんてものがあって大笑いしたんだけど、日本人のSNSの使い方というのは、外国人とは少し違って、この「名刺感覚」のような気がするんだけど……

(この非論理的な頭脳では、理由もなにもまったく分析できず、思いついたまま)

 

もしかすると、アメリカ人はすぐに銃をぶっ放すだったかも知れない。そして決闘がイギリス人。訴訟はドイツ人だったような。

そしてイタリア人だかフランス人は、「僕も一緒にベッドに入っていい?」だったような……(-◇ー;)

後から思い出してきた。