✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

カメラマン没落の衝撃。雑誌の凋落。

スタイリスト、ヘアメイク、スタジオさん(それぞれの撮影スタジオに勤務する当日だけのカメラマンの助手役)そして編集者がいるとしても、現場で最も力があり、仕切っていたのは実質上カメラマンだった。

僕のいた頃は、篠山紀信さんや立木義浩さんを始めとする“大カメラマン時代”のちょうど末期に当たる頃であり、僕のような新米編集者にとっては、彼らは雲の上のような存在であった。

 

これは野坂昭如先生が最後の文壇の人と呼ばれたように、時代が大きく転換する直前の状態であったことにどこか良く似ている。

というより、出版社全体の構造が根幹から崩れ、新しい時代の幕開けという時期を、僕はたまたま目撃したのだろう。

人間には、ある新業種の創業の時代を目撃する人もいれば、一方でその終幕を目撃する人間もいるんだと思う。

思い起こしてみれば、世界中を席巻したビートルズ時代とか、学園闘争の時代とかの終焉にも立ち会ったような青春だった。

(常にひとつ上の世代が邪魔でしょうがなかった)

 

この雑誌の撮影の現場を仕切っていたのばカメラマンであったが(彼らは一応編集者を立てて出来上がった写真を見せながら「どんな感じですか?」とお伺いを立てに来てくれるが――権力を握っている即ち金を握っているのは編集者だったから、どんな新人だろうがセンスがなかろうが、立てておかないとまずいというわけである。

こうやって出版社の編集者というのは、自分にアーティスティックな才能が欠如しているにもかかわらず、なんとなく自分はすごいんだ、才能あるんだと勘違いしてゆくのである。「役人的発想」しか出来ない社員のただの思い込みであり、これは大学を出て入社しただけで、年功序列的にディレクターとか言われてもてはやされるテレビ業界でも同じじゃないかと推測する)、スタイリストもヘアメイクも、カメラマン以上に仕事の実績がなければ、顎で使われる立場にあった。

 

出版業には、

1)いわゆる単行本や新書などの読み物を出す出版部門と、

2)雑誌部門

3)そして別格として漫画部門があったけれども、

花形であったはずの雑誌部門の凋落は、この時代に始まったと言っていい。

そしてそれは、男性誌に比べれば売れ行きの良い女性誌f:id:blueseashell:20200208203904p:plainにも次第に悪影響をおよぼしていった。

 

出版業界における花形部門であったはずの雑誌部門は、今や青息吐息で、復活の兆しはほとんど見えて来ていない。

 

カメラマンが食えなくなっても当たり前の時代なのである。ましてやスタイリストやヘアメイクでは廃業した人間は多いし、大御所カメラマンの直弟子にしたって、早々に見切りをつけて退いた人間も数知らずだ。

僕が懇意にしてもらっていたカメラマン10人程度のうち、なんと3人が、大金をはたいて買ったカメラを質屋に入れ、宅急便の運転手をするなどで生活費を稼ぎながらで、なんとか生き延びているぐらいなのだ。

また1人は結婚して、新興宗教の地区幹部をやっている奥さんに食わせてもらっていると聞くし、カメラマンで幸せにやっているという話は聞いたことがない。

後は少ないパイを巡って、男性誌女性誌でいかに自分の場所を作るか、熾烈な戦いをおこなっている猛者たちが残るばかりである(猛者と言っても、おねえ言葉をしゃべっていても、実は本姓は野獣という人間も多いのだが😅)。 

 

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※『アンアン』だとか『ノンノ』だとか、後は『モア』『with』『エル・ジャポン』など花形雑誌は数々あったが、その収益の多くはアパレル業界や一部インテリア業界からの広告代で、それに比べると、せいぜい自動車業界からのものしかなかった男性誌は、苦戦して当然だっろう。

包茎手術の広告は入れようと思ったら不況知らずの美容整形外科の病院からどんどん入ったけれども、これに対する会社役員の反発は根強く、営業ががんばって包茎手術の病院の広告を取ってきても、数ヶ月後には包茎広告禁止令」が出るなど😓、二転三転していた。

よって、雑誌に堂々と包茎手術などの広告が載っているものを二流誌、載っていないものを一流誌という分け方もあるぐらい。

間隙をうまく突いたのが『レオン』である。危機感を持ったアパレル業界や結婚産業、時計メーカー、ホテルグループなどからうまく広告主を募り、これに編集記事を加えて読者に少し先のファッションやライフスタイルへの提言をおこなうことで、一世を風靡した。

今では翳りも出てきているようだが、それでも『Safari』『UOMO』などの追随誌が次々と創刊され、どこもとりあえずは元気である。

ただし、これも女性誌と同じ理屈だが、「ライバル誌が多すぎる」という現状にさらされて、一時の勢いはない。

しかし薄くてペラペラの週刊誌が500円もする時代に、あれだけ綺麗なアート紙を使い、丁寧な印刷を心がけた分厚い雑誌が1000円前後で買えるのだから、買う側の人間としてはコストパフォーマンスはかなり良かったし、そもそもネットでのファッション研究というのは写真などの面から限界があって、少しお洒落な男性ならば、やはりファッション誌を買うのである。

だって、ZOZOtownなどの総合販売会社や、SCOTCH&SODAなどのブランド直販ページにしても、ネットだと見にくい見にくい。

これが「紙媒体の“一覧性”」という強みであり、あくまで2次元のネットとは違って、「なんとなく」3次元に見えるから、ファッションの比較という面では旧態依然とした紙媒体の方が見やすいのである)

 

だからこそ、出版のまわりには、活字じゃないとイヤだというコアなファンも多いのである。