✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

作家になるということ(その①)

作家になるということ。もしくは作家になることをめざすのは、ライターとして自分の名前で書いた本を一冊上梓してスタートするよりも、はるかに困難だ。

困難というのは、仕事上の困難という意味ではない。

生活そのもの、家族との暮らしそのものに、大きな影響があるということだ。

正直、僕はそれで失敗をして離婚ということになってしまったし、小説家をめざさなくとも、編集者やライター、カメラマン、イラストレーターなど、マスコミ関係にたずさわる人間すべてが背負っているリスキーな生き方である。

 

後者の、いわゆるマスコミやアーティストと呼ばれる仕事に就いている人間は、まずそうした人間の数そのものが少ない。

しかし当の本人は、それに気づくことが少なく、

「自分がこうなのだから、相手も同じだろう」

と考えがち。

ところが、僕の知人やそのまた知人で離婚した人間のほとんどが、結婚or家庭生活で破綻をきたして初めてからそれに気づくことが多いようだ。

 

それはそうだろう。

マスコミやアーチストとして生きている人間には、若い頃からそれなりの家庭生活を送っていたり、あるいはそのように教育されている人間が多いだあろうから。

そもそも元から価値観が合わないのだ。

 

それでもまれに、違う者同士がうまく生活できるカップルがいて、もしそうであるならラッキーと言わざるをえない。

それはかえって互いに刺激し合える人生を送れるからである可能性だってあるからである。

 

ところが、結婚する一方が自分の職業の特殊性に気づかずに、もう一方がその特殊性に魅力を感じた同士が、いっしょに生活を初めて数年たってから、もっと悪いのが子どもができてからようやく、

「この相手と人生を最後までいっしょにやっていくことは難しい」

と気づいたときのことだ。

とりわけ子どもや年老いた両親の関係から、離婚することすら出来ない場合も出てくる。