✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 健康オタク (7)

会社を辞めて、得た物と失った物がたくさんあった。

 

当初はバラ色の未来が待っているという錯覚があった。

駅前などに出かけるときなど、自然に鼻歌が出たものだった。

 

けれど、会社に借りていた住宅ローンの残債を返し、それを退職金から差し引いてもらった額は、微々たるものだった。

それまでの生活で、ゼイタクなどしたつもりはなかったが、気づかぬうちに年収に応じた金の使い方をしており、それが自然と身に染み込んでしまっていたのだろう。

買い物ひとつとってみても、やはりどこかで浮世離れしていた。

 

さらには家族4人の国民保険料、去年分の地方税などが加わり、貯金はあっという間に底をついた。

仕方なく別の会社で働き始めたり、フリーランスのライターとして仕事を得たりしていたが、子どもにかかるお金もどんどんとかさんでいって、ガードローンの借り入れ額が増えていった。

 

失った物が経済基盤だったとしたら、得た物は“同志”だった。

それまでは大出版社の看板雑誌にいたということで、こちらは意識しなくとも、フリーの人たちはどこか緊張してぎこちなかった。

それが、僕がフリーになったとたん、もう利用価値がないとばかりに離れていった人間も少なくはないけれども、たいていの場合、互いを隔てている垣根のようなものが取り払われて-、本当の意味で腹を割って話せるようになった。

 

ところがせっかく親しくなったフリーランスたちが仕事を辞めざるをえなくなったり、仕事そのものがなくなったりして、消えていく現象が起こり始めた。

いまだにトンネルの出口の見えない“出版不況”時代がやってきたのである。

 

行方不明の人間は数知れず、中にはみずから命を絶った仲間たちもいた。

退社後に思い描いていたバラ色の人生は、すぐさま地獄へと変わっていった。

借金は膨れる一方、そして、もともと仲の良くなかった妻はますますヒステリーや酒乱がひどくなって、朝から晩までキーキーと怒鳴ってばかりいるようになった。

 

その狐のようにつり上がった顔がこわくて、僕はうなぎの寝床のような小さな書斎に鍵をつけて、中に閉じこもって小説を書き始めた。

 

我が人生でもっとも苦しい時代の始まりだった。

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