✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 最後まで個人主義を貫けるか。

今日も人と口をきかず。おこもり。

ま、こういう人生に生まれついたんだなあと改めて。

粛々と人生のラストスパートへ向かって助走を始めるしかない(まだ助走かよ…… (-ω-;)。

しかし独りで生きるというのは、寂しさを感じる反面、人とのさまざまな軋轢がないことをも意味する。

 

ケンカをしたり、相手のスケジュールに合わせたり、なにかを強要されたり。

 

結局、どっちをとるかじゃないのかな。

(とりわけこの商売やクリエイティブな仕事は)

中にはとびきり幸運をつかんだ人間もいて、夫婦で同じ目的を共有して生きていく、あるいは似たような感性を持ってお互い刺激しあうことができるけれども、周囲のカメラマンなりデザイナーなり絵描きなり陶芸家なりを見ていると、たいてい離婚を味わっている。

まあ、ふつうの感性を持った奥さんじゃ、とてもやっていけないし、ついていけないよね……

 

両方をうまく両立させていくってのは至難の業だし、生まれつきそれができる人以外は、相当な艱難辛苦を味わって創り出していかないと、自由を手に入れることはできないと思う。

僕は結局、独りでいいと、ようやく最近開き直ることができつつある。ついこの間までは、子どものことだとか、生涯独りで暮す不安であるとか「煩悩」に支配されてしまう部分もあったけれども、

「あ、なんか煩悩、捨てられるな」

と思うことができるようになってきたのだ。

これも、死を想像せざるを得ない病にかかった副産物かも知れないし、その意味ではラッキーだった。

そうでなければ、たぶんまだあと10年はこうした心境に達することができなかった、いや、気づくことさえなかったかも知れないから。

 

ムラ社会を捨てて都会に出れば、そこには必然的に個人主義が待っている。しかもその個人主義というのは、行くところまで行くしかないという、とてもコワイおまけ付きだ。

 

身をもって実験しているような気がしてならないのだ、このところ。