✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ なにもない平和な一日だった。

あっという間に今日もおしまい。

書くことがあまりなかったということは、おとなしく家で料理・家事・仕事を黙々とこなしていた証拠。まあ、いいことじゃないかなあ。

 

今日あったよかったこと。

体温が夕方、36.9度まで上がったこと。

「体温を上げるいちばん簡単な方法は、筋肉を鍛えること(つけること)です」

という齋藤先生の言に素直に従って、週に2回のスロートレーニングを黙々とこなしていたせいかも知れない。

水出しをしておいた昆布ダシに花かつおをいっぱい入れて、きちんとダシをとって茸を3種類使ったお味噌汁を作ったこと(いつもは昆布ダシだけですませちゃう)。

アマゾンに注文しておいた中古本が次々とメール便で届いたこと。

ヨガをやり始めたら、あっという間にお腹、とくに横っ腹が締まったこと。ふつうの筋肉運動はどちらかというと直線的だけど、ヨガはとにかくねじる。そのねじりで、いまひとつ締まることができなかった筋肉が、そら来たとばかり急激に締まったとしか考えられない。今でもふつうの背筋では経験したことのない痛みが、背中を斜めにクロスするように走っているのだ。これはちょっとのめり込みそう。気功でも整体法でも感じたことのない開放感。

そんなものかな。

 

■ 先日テラスモールに入った有隣堂(ジュンク堂に入ってもらいたかった……)で、海外の小説を物色し、高くて買えないなといつも通りあきらめて、スポーツのコーナーと健康本のコーナーをのぞきに言ったら、『乳がんの8割は朝、パンを食べている』という本が気になってパラパラと立ち読み。

もちろん僕は乳がんにかかることはないだろうけど(男性でも少数だがかかる人がいると聞いたことがある)、パン食が好きになってるし、いつかパナソニックのホームベーカリーが買いたいなあと思っているから、漂白した白いパンの毒性ではなくて、その他にも原因があったのかと気になったから。

けれど、ざっとめくったところでは、どうやらパンそのものというより、その食生活に問題があるという趣旨だったように思えた。つまり、朝は忙しいからパンとジャムぐらいですませてしまい、昼はランチでパスタなど大量のオイルを摂取し、午後には砂糖をふんだんに使ったスイーツを食べ……という生活が、乳がんを引き起こしやすいというものだった。

で、結局どういう食生活がいいか書かれているのに興味があったので、家に帰ってアマゾンを見たけれど、中古本がまだ安くなかったので購入はしなかったんだけど、子宮がんとか乳がんとか、体を綺麗にするナントカとか、そうしたコーナーにいる女性客の数がとても多いことに気がついた。スポーツコーナーでも、ヨガの本とかピラティスの本とかを熱心に読み比べている女性が多い。それに比べると、そうしたコーナーに足を運ぶ男性客は圧倒的に少ない。

 

もともとヨガだって、インドでは男女の別なくやっていた健康法だし(「ハタヨガ」の場合)、ピラティスなどは第一次世界大戦で負傷した兵士のリハビリのために考案された男性のためのものだった。

それが今や、とりわけ日本では、そうしたモノは女がやるもんで、男でそんなことに興味を持つ人間は変人だととらえられていたし、今はだいぶ意識が変わってきたけれども、それでもやはり少数派に違いないように思われる。

男が自分たちだけで社会を独占し、女を排除してきた歴史の中で、女性はなにをよりどころにしていったかと言えば、それは男性に負けてたまるかと真っ向から勝負をしようとするか、あるいは諦めて家庭の主婦として母親として黙々と働いて年をとってゆくか、あるいは家庭や自分の健康を第一にしてヨガだのピラティスだのといった健康法に答えを求めようという、あくまでおおざっぱな分け方だけど、3つぐらいの流れに分けられたと思う。

そうして男の側が「男は」「男だったら」「男たるもの」と男の安売りをしている間に、女性は生まれ持った強い生存本能を活かして、人類が発明してきたあらゆる健康法を取り入れ、男とはまったく違った文化を作り始めたのだと思う。そしてそれは近年ますます大きな潮流となっていることは間違いない。

ヨガやピラティスだけではない。ホメオパシーだって水泳やテニスだって、各種マッサージだって、体にいいことはほとんど女性が独占するようになってしまったんだと思う。つまり男は、会社での出世という、少し離れて考えてみればとてもあやふやでもろい価値観にとらわれている間に、女性にいいとこどりをぜんぶされていたというわけだ。

以前『サンデー毎日』という雑誌でライターとしてアルバイトしていた時期に、ベターホームという料理学校の取材をしたときには、そのあまりの惨憺たる様子に目を疑ったことを覚えている。

何かと言えば、全クラス中、男のクラスは週に何コマしかなくて、みな白い割烹着に帽子をかぶらされて、とてもつまらなそうに黙々と唐揚げを作ったりおひたしを作ったりしている高年男性たちの覇気のなさに、これはひどいと正直思ってしまったのだ。

テラスモールにABCクッキングスタジオというのが開校すると聞き、そこは男性も女性も関係なくいっしょのクラスで学べると聞いて楽しみにしていたんだけど、それは結局ガセネタで、男性に与えられたのは限られた時間の限られたコマだけで、女性と混じり合うことはできなかった。たぶん今ごろ、あのベターホームと似たような光景が繰り広げられているんじゃないかと思う。

離婚するまで料理をしたことがないとか、奥さんに死別してしまったとか、いろいろな理由でやむを得ずスクールに入ったという男性が圧倒的に多いのだ。自分からイタリアンの教室に通ったりする男性は、まだまだ少数派で、いまだに「男子厨房に入らず」という、明治政府によってねつ造された「間違ったことわざ」に縛られている男性が多いことに愕然とする。

 

クッキングだけじゃなくて、ピラティスでもヨガでも、近所で電話したスクールや教室には、ぜんぶ断られてしまった。

「奥さまとか恋人の女性といっしょなら……」

と言ってくれるスクールでさえ少数派だった。

つまり男性陣がヨガを習得したいとかピラティスをやってみたいとか思っても、それはジムのスタジオに行くしか道は開けていないのである。

 

僕は男は男、女は女と分けて考えることが昔からおかしいと思っていたので、ランチタイムのカフェが女性だけしかいなくても、有隣堂のように子宮がんとか乳がんのコーナーに僕だけしかいなくても(ま、たぶん変態か、奥さまがお病気なのねと思われてるんだろうけど)、雑貨屋を見に行くのも、食器を見に行くのにも、あまり抵抗感がない。

「いい物はいい」んだからしょうがないじゃないかと思っている(でもときどき、人を変態を見るような目で見る女性がいるのにはヘキエキとするから、女性にも男のように偏見を持っている人間はいるんだろう)。

 

調べたことはないけれど、たぶんスポーツ大国であるアメリカや、男女同権意識が日本よりはずっと強いヨーロッパなら、ピラティス教室やクッキングスクールで、日本ほど男子禁制のところは少ないんじゃないかと思う。日本は同じ先進国のなかでも、まだまだ男尊女卑の強い文化的発展途上国の域を出ていないんじゃないかと思っている。

 

出世をめざして家庭もかえりみず、体を壊すまでがんばって、結局定年を迎えて「ごくろうさまでした」で花束ひとつもらって意気消沈している男性を見ると、ほんとうにかわいそうに思うけれども、そういう人に限って、後輩や女性に対して「会社のために」と説教を続ける迷惑親父だった可能性もあるわけで……(^◇^;)。

まあだから、男の人生って、定年を迎えたときじゃないときっとわからないんだと思うな。たまたまそれが見えちゃったというか、人と群れるのがもともと嫌いだった僕は、そこが見えすぎて会社を辞めて、別の面で不幸になっちゃったけど(-◇ー;)。

 

さて寝なくちゃ。予定より30分遅れだ。