✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 10/30(火) 自分の振り見て我が振り直せ。

断酒695日目。

5時起床。数日ぶりに爽快。

昨夜は11時半に就寝するつもりで、結局布団にもぐったのは推定45分ぐらい。

しかし5時に自然に目が覚めるまで、いちども起きなかった。

やはり僕にとって、早い時間の就寝はかえって睡眠の質を落とすのかも知れない。

長年昼夜逆転の生活をしてきたツケか。

 

しかも「何時に起きよう」と思うと、まずたいていその30分から1時間前には目が覚めてしまう。寝ている間も、体内リズムを感じているのかもしれない。

感覚が鋭いと言えば聞こえがいいが、要はただ神経質なだけなのかも知れない。

 

6時25分の前までに、膝の運動から始まって、徐々に強めの運動に。

このあたり、あお向けならあお向けの姿勢のままでできる股関節の体操とか自重による運動とか、ヨガを1ポーズとか、いろいろな体操が入り交じる。

あお向け→横向き→うつ伏せと態勢を変えながら運動を続け、だんだんと目を覚ましていくのが僕のパターン。

起きてすぐ、いきなりヨガであるとか、上半身を起こした姿勢での柔軟やらは僕にとってはきつくて、テレビ体操すらふらついたりスジを傷めそうになる。

 

このあお向けならあお向けのパターンに、各種系統の違った運動の要素をいかに採り入れ捨てていくかが重要だし、楽しい。

 

取捨選択というのは、こうした運動ひとつから始まって、大げさに言えば人生そのものまでつきまとい、それぞれの結果を生み出すものなんだろうと思う。

そしてその結果は、大小さまざまな取捨選択が混じり合って引き出されてくるもので、すべては自己責任であり、人の人生がそれぞれ違った物になるのは、生まれた環境は別として、この自己責任に集積の延長にあるんだろうと思う。

 

ならばその取捨選択をおこなうだけの知識や経験といったものは、みずから努力して体得するものであって、その作業をさぼればただのロボットであり、他人の人生を生きるに過ぎないということになる。

 

それがイヤなら、くだらない、たまたま自分より数年十数年先に生まれただけで先輩面する人間の言うことよりも、先人の魂の言葉が宿っている本の中にこそ生きる知恵はあるはずだし、生きた人間から学ぶならば、その人間の唱えること実践していることをよく観察して、これまた取捨選択をしていかなければ恐ろしい結果が待っているということになる。

 

「人の振り見て我が振り直せ」

という言葉は、僕があまり好きではない文言のひとつで(誤解しやすいという意味において)、まずもって人の振りを見るというところに、自分よりも世間体を第一として考える日本人のイヤな部分を感じてしまう。

本来、

「自分の振り見て我が振り直せ」

であるべきであって、次に自分自身を進歩させるのは、大したことをしていない先輩クラスの人間ではなく、「失敗した昨日の自分」であり,それが客観的に観察できることだと僕は思っている。