✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 6/20 ③ 夏がそこまで……

海から公園を抜けてスーパーまで自転車で。

公園内の舗装路からの反射、もし風がなかったら半端じゃなく暑かったと思う。

夏だな。

 

同じchigasakiに住む古くからの友人は、chigasakiといっても、samukawaに近いからかろうじてchigasakiなんだけど、

(もともと僕がここに住むきっかけとなったのはその友人がメインだったので、

「なんだ。chigasakiなんて言っても、海際に住んでる僕と違って山じゃん。山」

とバカにすると本気で悔しがるから面白い(^_^;)。

もう暑い日が続いて、夏になったらどうするんだろうと家族中で悩んでいるという。

 

風通しのいい一軒家だけど、とにかく暑いのだそうだ。まだエアコンには早いしということで、汗をがまんしながら寝ているそうなんだけど。

 

同じchigasakiでも、海に近ければ近いほど、涼しい。

しかも僕の所は、昨日の暴風でサッシのガラスがこなごなになるかというぐらいの強風だったんだけど、ふだんは風が気持ちよく通り抜けていく。

まったく違うんだなという印象。

ただし、自転車やバイクがすぐ錆び錆びになっちゃうという欠点はあるけれど。

 

さっきエアコンのこと描いたけど、今年は網戸もあるから涼しく仕事ができると思う。でもそろそろ、扇風機は出しておかないとな。

 

毎日お天気と相談しながら生きるのは、生きているという実感があって楽しい。

実家のあった東京から、大学と、結婚するまで会社に通っていた時には、こうした感覚はなかった。

ただひたすら、どこまでも続く舗装路とビルにはさまれて、不快な暑さだったことを思い出す。

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最初からこんな海辺に住んでいれば、たぶん人生そのものが変わっていたんじゃないかなあ。

ただし離婚して家を追い出されて、海の近くに住めなくなったかも知れないけど(^◇^;)。

それでも子どもたちはサーフィンだのボディーボードだの、毎日を楽しんで暮すことができただろうし、なんといってもフレンドリーな性格に育ってくれただろうなあと思う。

 

きっと僕が今ここに独り暮らしをしていることは知っているけれども、それがどういう生活を意味するのか、想像もできないに違いない。

想像しようとすらしないか。