✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

僕なりの文章修行術②

いきなりパソコンやワープロを使うな!②

 

 

なぜ文章を修行中の人間がパソコンを使ってはいけないかというと、理由は簡単である。 

★「手と脳との連動」による文章力の獲得。

にこそ、もっともこの手の研究は日本にも海外にも多いらしく、それを基にした文章(雑文)をブログや雑誌などでよく見かけるが、これはなにも文章力に限ったことではない。

さまざまな技術を習得する過程で、場合によっては炊事洗濯家事掃除といった作業一般にもあてはまることだが、手作業によって思考経路が脳内に形作られ、それが手先にフィードバックして熟練度があがり、それがまた脳に刺激を与えて、さらに複雑な思考や、思考の広がりを引き出してゆく。

それらがさらに手作業へとフィードバックされ……という動きが無限に繰り返されてゆくわけだが、こうした作業を少しずつこなしていかなければ、本来文章など書けないものなのである。

これはケースによっては、理系やビジネス系の文章とは違い、「解答のない極めて複雑な能力」であるということから、実は小説やエッセイなどこそが、最も難しい能力を必要とするのである。

喩えるならば、理系やビジネス系の文章を「チェス」とするなら、小説やエッセイの文章は「将棋」なのだ。獲った駒を盤面に自由に打ち込むことができるなど、至難の業であることは明白である。

だから、近年こそ優秀な「将棋ソフト」が作られるようになり、人間よりも強くなってしまったが、それ以前から存在した「チェスソフト」とは比べものにならないぐらいCPUに負担をかけるものだったのである。

いきなりパソコンを使って文章を書くということは、この複雑な過程をすべてぶっ飛ばしてしまうということになるのだ。

f:id:blueseashell:20200312124332j:plain


★パソコンで文章を書くことのデメリット。

もう30年も前になるのか、なにかの雑誌の、たぶん書評のページかなにかで読んだことがあるのだが……四方田犬彦さんも関係していたようなしていなかったような、まったく不確かな記憶しかなくて恐縮なのだが、氏が言うには(これが四方田氏であるのかどうかも不明。ミネルヴァ書房から出版された本という記憶もあるのだが、四方田氏はそんな本出していないみたいだし……)、

「人間の脳の中では、思考が分子のようなレベルで動き回っている。これを原稿用紙に書きつけることで、分子が定着して動きが遅くなる」

のだと。そして、

「さらに思考をプリントアウトすることによって、思考はほとんど身動きならない状態になる。つまり定着する」

ということになる。

言ってみれば、脳の中で生まれた思考なりアイデア、文章といったものをいきなりパソコンを使って書くことによって、いまだしっかりとした思考の経路が作られる前に、強制的に足止めを食ってしまう状態になる。

そしていったん動きを止められてしまった文章は、ふたたび動かすことが非常に難しいものとなってしまっているのだ。

f:id:blueseashell:20200312144509j:plain

 

つまりこの段階になると、たとえ気がついたとしても、修正するためには莫大なエネルギーが必要とされる。

なぜなら一見したところ、プリントアウトされた(印刷物となった)もの)は、自分でもどこか、

「うまい文章が書けた」

という錯覚に陥りがちだからである。これが文章力(構成力などすべて含む)のないうちにパソコンを使って文章を書く最大の罠であり、欠点なのだ。

 

★文章の実力は、消しゴムのカスの量に比例する。

思考経路ができあがる前にプリントアウトしてしまうと、それはなんとなくうまい文章に見えるものだが、これは当人自身だけでなく、第三者にもなんとなく

(文章、まとまってるな)

とう印象を与えるものだ。

これを判断できるのはプロの編集者であり、本来それこそが責務であり、存在意義であった。

「あった」と過去形を使ったのは、すでにその肝心の編集者からしてが、パソコンで文章を書きながら育った世代がどんどん増えたために、本当に上手な原稿なのか見破れなくなっていったのである。

ここにおいて、僕が先述した「端境期に生きたことによりおのずから培われた文章能力」が威力を発揮することとなった。

 

僕ら端境期組がどのようにして原稿,、すなわち文章を書いていたかというと、まずは原稿用紙(会社の備品としていくらでも使えたのが「ペラ」と呼ばれる1枚200字詰めの原稿用紙)に鉛筆やシャープペンシルで文章を書いていくわけだが、ここに思いついた文章をとにかく書きつけていって、気に入らないとかしっくり来ないというときには、もうガシガシと音が出るぐらいに消しゴムで消しまくるわけである。

ひたすらこの繰り返しで、少しずつ前に進む。

このとき資料として必要なのは、書く内容に漏れがないように列記したメモ書きと国語辞典などの辞書類だけ(必要に応じて)。

構成なんか、あるていど文章力がついてからじゃないと見つけられるわけがないし、見つかっているとしたらすでに才能に満ちあふれた数少ない初心者であろうから、自分と比べる必要はない。

落ち込まずにただひたすら脳内に思考のドリルで穴を空けてゆくのだ。そうすれば、いつか穴が脳を突き抜けて向こう側に空く。そのとき初めて

「ああ、構成ってこういうものなんだ」

と体で感じることができるのだ。

書く内容、文章と文章のつなぎ、次にどう展開するのかは筆任せ、ただ時々先ほどメモを見ながら、勝手に走り始めた筆を押さえてメモに引っ張り戻すだけのことだ。

f:id:blueseashell:20200312203248j:plain

ここで大切なのは、

「誰が見ているわけでもない」

という意識を育てること。

そう。あなたの文章など、誰も見ていないし、よほど目立つ場所だったり場違いなところでなかったとしたら、目の隅にも入ってこないのである。みんな自分のことで精一杯。他人がなにか文章を書いていたとしても、なんの興味もないはず。

それなのに、プライドの塊というヤツがあなたの文章修行の邪魔をする。こいつが間近でニヤつきながらウロウロしていたら、確かに書きにくくて仕方がないだろう。

あなたはきっと、試験真っ最中の学生のように、片腕で答案用紙を隠しながら、原稿を書き続けることになる。

いくら頭の中で、日本語になっていなかろうが、うまく書けなかろうが、思考の経路が脳内に徐徐に穴をうがつまでは自由でいいのだとアドバイスされようが、プライドの塊の黒い影はあなたにまとわりついて離れない。

まずはこの黒い影を消してしまうこと。

ここからが初めて文章修行のスタートとなる。

実はその黒い影には弱点もあって、それは先ほどから言っているようにあなたが作り出した消しゴムのカス。

これが魔法の薬となって、黒い影は徐徐にその力をそがれてゆくのである。なかなか効かない薬ではあるが、あきらめずにふりかけ続ければ、必ず黒い影はだんだんと薄くなってゆく。

それを信じて、ひたすら消しゴムのカスを増やし続けることだ。

パソコンでもなく、ボールペンでもなく、修正液でもなく、ただ鉛筆と消しゴム。

あなたの文章力を救い伸ばすのは、この2つでしかない。