✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

僕なりの文章修行術③

いきなりパソコンやワープロを使うな!③

 

 

★このシリーズにおける“本”の分類。

ここでまず言っておかないとならいのは、文章といっても、そこには

ビジネス系、ハウツー系の文章と、小説やエッセイ、半生記など物語性を有する文章とでは、雲泥の差があるということである。

これをもう少し細かく分類すると、

 

ビジネス系 < ハウツー系 < 科学・化学などの理系 < 物語系 < 創作系

 

といった関係にでもなろうか。

あなたが書きたいものがビジネス本やハウツー本(ビジネス本より高度な専門性を持つもの。刺繍の本であるとか盆栽の本であるとか、はたまたパソコンの自作本であったりゲームその他のプログラミングの本であったり)を書きたいのか、

それとも、現代科学の最新の学説にもとづいた解説本を書きたいのか。

例えば人間の持つ抵抗力について見識を深めたり(いま世界中の関心を集めているCOVID-19を始めとする細菌やウイルスについての本などまさにこの系列だろう)、今後世界の話題の中心となるに違いない「はやぶさ2」への疑問がすべて分かる本であるとか、純粋に理系の専門職やそこに携わった経験のある人たちにしか書けない本を自分も書いてみたいのか、

(これは分類できない独立系にした方がいいと思うが、いちおう話の都合上)

他人にはめったに経験できない職業経験に基づく半生記、例えばアフリカで医療に従事した経験を持つ医者が、イスラム系のゲリラに捕まったときの手に汗握る話であったりとか、ハウツー本にはない物語性が加わったものであるのか、

あるいは小説を頂点とする完全な創作物(事実に基づいたorインスパイアされた小説も含む)を書きたいのか、

などなど、それぞれまったくアドバイスが違ってくる。

 

さらに例を挙げるならば、例えば「俳句」について分類を試みてみよう。とするならば、

1)儲けにくい俳句の本でいかに収益を出すか? について書いたのがビジネス本。

2)どのような創作方法を取り入れれば、優秀な俳句が書けるのか(ここでは儲ける儲けないは関係がない)についてのハウツー本。

3)小林一茶の一生を、俳句を通して浮き彫りにし、はたして彼が特異な体験を通してただの変人になっていったのかそうではなかったのか、これまでの解釈に一石を投じるような物語性のある本。

4)過去の経験よりも自分の脳内で組み立てられた発想に重きを置き、いまだかつてない物語を織りなしてみせるのが小説その他の創作系であり、たとえば『幕府捨て隠密 小林一茶』などという荒唐無稽な物語ができたとしたらまさにそれに当たる。

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もしあなたがビジネス系やハウツー系の本、科学的知見に満ちた本、を書きたいのであれば、このブログの記事はほとんど役に立たない。他の本なりネットの記事なりを当たってもらった方がいい。

 

しかしこの分類方法には別の意味もあって、ビジネス本が書ける人間は、必ずしも小説は書けないけれども、その逆、すなわち小説の書ける人間は、ビジネス本を書こうと思えば書けるという点にある。

まあ平たく言ってしまえば、大は小を兼ねるといったところか。

大きいことは、いいことなのだ。

(なんて書くと、つい山本直純氏の「森永エールチョコレート」の宣伝を思い出してしまう僕は古いのね)

youtu.be

 

★どんなにコピペして文章を整えようとも、「構成力」は身につかない。

 

パソコンを使って文章を書く上で、

「便利なものが発明されたなあ」

と今さらながら感心してしまうのは、コピー&ペーストで文章を切り取って、こっちにくっつけて……なんて作り方が、マウス一つで(矢印キーでもいいけど)できてしまうという点。

こんな便利なことが何度でも繰り返しできるのだ。

だから、とりあえずここを切り抜いてこっちに貼りつけて、実際にやってみると、う~ん、なんかしっくりこない。じゃあやっぱりこっちを切ってこっちにくっつけて……と延々と続けられるのである。

パソコンの画面上で。

 

「パソコンの画面上で」と言ったのは、先日述べた「思考がプリントアウトすることで流動性が失われて固着(定着)してしまう」ことを思い出していただければわかるかと思う。

つまり、コピー&ペーストというのは、

「固着(定着)させた思考を切り取って、あらたに別の場所に固着(定着)させる」

ことであり、それは

 

固着(定着)  

思考の分子の一部固着 ⇒ さらなる分子の固着 ⇒ 分子の完全固着(定着)の一歩手前(なんども推敲を繰り返して完成へと近づいてゆく) 

⇒思考の完全な定着(プリントアウトすることによって完結)

 

といった手順をまったく踏むことなく、つまり思考が定着してゆくまでの過程をすべて無視して、思考から定着までいきなりワープしてしまうことになるのである。

(上の図の赤字の部分をすべて無視してしまい、キーボードを打った段階ですでに定着化が進んでいるパソコン画面上でのみ、文章や語句の修正がおこなわれるといった書き方)

 

文章の書き方や、構成力のつけ方というのは、実はこの一見無駄に見える複数の過程を経ることによって培われてゆくものなのである。

この修行なくして文章力や構成力の上達というものはほとんど期待できないのだ。