✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■10/29(火) 断酒1092日目 診療所巡りに一段落。&アウトプット②

■なんだ雨か?

バラバラと窓を打つ音で目が覚める。

スポット天気予報、寝る前とまったく違っていて(テレビの全国天気予報ともまた違っている)、15時までずっと弱い雨が続いている。

18時には曇りマークに変わっているから、その前まで雨の可能性もあるのか……

終日曇りで18時になってから弱い雨だったはずなのに、まったく逆になっている。

どうせ寒いし、昨日3つも診療所をまわったのだか、ついでに主治医のところにも行こうと思っていたのだが、さてどうするか。

ダイビング用のコートでも着て、自転車で飛ばそうか。空いているだろうし。

歩いても苦痛となるような距離ではないのだが、もう薬が山のごとしでどうしようもない。

アミノレバンを小さな取っ手付きのビニール袋2つで2週間分なのだが、各種フレーバーを含めると、それだけで大変な量になってしまうのだ。

一ヶ月分だと、自転車でそのままじゃ持ち運べそうにないぐらい。

じゃあコート着て、小型のリュックサックでも担いで出かけようかなあ。

と、思ったら、うわ……雨が強くなってる。

 

■さてアウトプット①の続きだけれども、

(http://whiteseashell.hatenablog.com/entry/2013/10/27/085841)

「自分が書きたくないことを書く」

「他人には決して見せられないこと」

を書くということはどういうことかと言うと、それは

「自分がどこかに持っている妙なプライドを消す」

あるいは弱めるために、敢えて書きたくないことを書いて、自分の内面で闘争の口火を切るのである。

 

その内容は、個人個人で千差万別になるだろうが、もっとかみ砕いて言うならば、

「恥ずかしいことを書く」

というのに近いかも知れない。

 

「他人には決してみせられないこと」を書くとなると、どうしても他人に対する怨みつらみがメインとなりがちである。

それはそれで文章の練習(と言うよりも文章を練る際の脳細胞の引き出しのひとつ)になるだろうが、一方でいつまでも怨みつらみにこだわっていては、少しもアウトプットの練習にはならないことも忘れてはならないだろう。

 

とはいえ、やはり上司、妻or夫、家族、友人、近所の人間への鬱積した不満を書きつける際に働くであろうエネルギーは、やはり文章などほとんど書いた人間にとっては大いに力になると思う。

 

しかし妻or夫や家族に見つかってしまっては、あらぬ騒動になるのはわかっているから、ある程度書いては消し、書いては消しを繰り返した方が無難だろう(-◇ー;)。

 

これはいずれ書こうとは思っているが(すぐに忘れる)、その際にワープロソフトを使うのがもっとも手っ取り早いとは思うのだが、僕はそこであえて、手書きの原稿にすることをオススメする。

 

■不思議なもので、ワープロに書くより、紙に書く方がはるかに難しくて、なかなか文章として結実しない。

これについては以前か、あるいは前のブログで書いたことなのだが、ワープロというのが、実は脳内を自由に動く思考の電子と、それを紙に書きつけることによって固定化された電子の見取り図との、ちょうど中間に位置しているからだと思う。

言い換えれば、ワープロ原稿の間は、まだ電子が固定されてはおらず、ようやく何かを形作り始めた原始段階にあると言うのが正しいと思う。

 

だからこそ、ワープロが普及して、小説のみならず、ブログだのなんだのが爆発的に普及したのは、ワープロからパソコンへと移行し、そのパソコンにインストールするワープロソフトの発展という側面だけではなくて、

「文章を書くのが手っ取り早くなった」

という事情にもよるのだろうと思っている。

つまり、電子が原始の段階にいるまでの過程だけで済むワープロ原稿は、昔であれば最終的に原稿用紙に書くという行為よりも、はるかにとっつきやすく、書きやすいからという、ただそれだけの理由である。

 

ここを錯覚してはならないのは、ワープロで文章が書けるからといって、それは必ずしも自分が文章に才能があるという証明にはならないということである。

極端に言ってしまえば、誰にだって書けるのである。

だからこそ、各種文学賞に応募してくる作品数が(一時)飛躍的に増えたし、その分量も原稿用紙数千枚という大作(中身が優れているという意味ではない。その逆)が急増して、下読みの編集者を泣かせることとなり、それが引いては、「下読みの丸投げ」という、誰も聞いたことのない、実力があるかどうかすらわからない怪しげなライターたちに最初の段階を丸投げするという悪しき慣習を作ることになってしまったのである。

(事実、宝島社で下読みをやっていたライターたちの大半のその後について、耳にしたことがない。彼らライターを取り込んだのではないかと思われるフリーの書評家は別として、まともなのはそこまでだったのではないかと、大手雑誌の編集者からは思われている)

 

そうした理由もあって、僕はまずは紙に書く訓練をオススメしたい。

なぜか紙を前にするとまったく文章が書けない、思い浮かばないという人は、ワープロから入ってもいいだろうが、紙に書く練習をきちんとした人間とそうでない人間とでは、後日文章力、とりわけ構成力に大きな差が出てくると思う。

原稿用紙400枚なら400枚で、構成に破綻なく、作品を終えるということがいかに困難なことであるか。

その練習を経ていなければ、ワープロでただ書きっぱなし、書き殴りにてってしまって、栗本薫氏ではないけれども、いつまで続くのか当人でさえわからないという大河ドラマになってしまうか、何冊も本を出しているうとに、構成力から破綻を来したりというリスクが出てくると、僕は信じている。

 

なに、読まれてまずいというアウトプットなら、レポート用紙に書けばいいのである。

書斎で書いている場合には、一段落したら破り捨てる、シュレッダーにかける(手動の安いやつでいい)。

Caféかなんかで書いた場合には、帰り道、駅やコンビニのごみ箱に丸めて捨てればそれでいい。

まあ、ここら辺は、昔の勤め人の「Bar[のマッチ」的注意ぐらい払えば問題ないだろう。

 

ともかくA4のレポート用紙一枚に、ぎっしりと文章を書き込むという労力は、やってみなければわからないものである。

くれぐれも、ステキな原稿用紙を買ってきて、削り経てのUniの鉛筆を片手に(今はシャープペンか、やっぱり(-◇ー;)、構えて書くという行為は、最初はやめておいた方が無難である。

原稿用紙というのは、心の中の混沌とした感情に対して、よそ行きの服を着せるという不思議かつ厄介な効果をもたらしてしまうものだからである。

(続く)

 

■昨日の発作は、いつも麻酔注射をするたびにそうなのだが、やはり“麻酔ショック”としかシロウトの僕には考えられない。

夜中じゅう、寝たり起きたりを繰り返して、熟睡したのがなんと6時近くになってから……

いったん雨の音で目を覚ましたのだが、その後の2時間は爆睡できた。

起きて見ると、昨日のような痛みは消えている。不思議。

たぶん午後遅くなってくると、またどこかしら疼痛が起こってくるだろうが、発作とまではいかないだろう。

はたして僕の場合、あと何回注射をしたらもっと長期間痛みが出てこなくなるのだろう。

 

■16時30分ごろになると、雨はほとんど降っていないような状態になったので、主治医の診療所へ出発。

診療所と薬局通いは、なるべく固め打ちでやってしまいたい。

そうじゃないと、すべてに中途半端になってしまうから。

 

肝臓の方は落ち着いているので、食べ物に対する注意を受けただけ。

とにかく僕が何を料理して何を食べるかにすべてがかかっていると。先生の出すクスリはあくまでそれの補助、そして僕はさらにその補助に過ぎないんだよと言われるなど。

しかし独り暮らしだとこれこそが難しい。

とりわけ神経痛でもなんでも、不調になって食欲が無くなると、料理はやれなくなるわ、さらに体が弱るわの負のスパイラルに陥ってしまうところが厄介。

こういう時には妻がいるといいなとは思うが、その時だけ(^◇^;)。

これじゃ、

「女は男の召使いでもコックでも何でもないのよっ!」

と女性に怒られるだろうから、自分でやるしかないのだ(;^ω^)。

食事トモダチとかお茶トモダチとか、話や考え方の合うガールフレンドは欲しいけど、妻はもういらんヾ(・ω・`;)ノぁゎゎ

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今日ひとつだけ新しいクスリを出してもらったのは、「オパルモン」という血管拡張し、血行を良くするというクスリ。

実はリハビリの内科の先生から、

「肝臓には影響ないか、主治医の先生に聞いてごらん。それから処方するのでも遅くはないから」

と言われて(どうもこちらの先生は大人しくて打にこもるタイプ。診療に使っている建物とは別に、家作が2軒ぐらいあって、庭もただっ広いので、なんだかお医者さんの二世とか三世なんじゃないかと見当をつけている)、主治医の野村先生に聞いてみたのだ。

 

というのは、おそらく僕の神経痛は、「腰部脊柱管狭窄症」(ヨウブセキチュウカンキョウサクショウ)という、まあ年をとれば誰がかかってもおかしくないような病気で、つまりは老化による背骨の変形が原因。

背骨に沿って首からお尻までずっとつながっている脊柱管という大事な管が圧迫されて、その中に収っている神経根や関係に血液を送り届けている血管が圧迫されて、さまざまな症状が起こるのだそうだ。

その代表的な症状のひとつが坐骨神経痛というわけ。

で、ここの血管を拡張して血行を良くすれば、痛みも和らぐという理屈になるのだが、野村先生、肝臓には影響ないよと言った後、

「だから前から狭窄症にはオパルモンって言ってるじゃないか。よし! 僕が出してやろう」

と、おクスリくれちゃったのだ (-ω-;)。

いやまあ、主治医の先生がすべてのクスリについて把握しておく方が安心できるからいいんだけど、でもじゃあ、リハビリの先生にはなんて言ったらいいんだ?

今からユウウツ。

医者づきあいってのもムズカシイ。

 

ともあれ、夕方は仕事帰りの人も多くて、けっこう待ち時間もあったけれども、17時前に受付をして(自転車でタランコタランコ走っていたので……)18時に診療が終わり、薬局に寄って帰ったのが19時前……また一日つぶれちゃった。

 

15分ほど横になって休憩した後、がんばって、白菜と豚バラ肉の挟み蒸しと、マダラのオリーブオイル&イタリアンハーブミックス焼きを作り、発芽米をチンして夕食。

21時まで爆睡(-`ω´-;)。

 

■うーん……今回の神経ブロックの注射、なんか効いてないんじゃなかろうか……

昨日も夜発作に近い疼痛を感じたし、今もそう。

湿布を貼り、2時間ほど前に飲んだ「リリカ」が効くのを待っているところ。

今日処方された新薬「オパルモン」だって初日から聞くほどの特効薬ではないだろうし、同じく昨日変えてもらったばかりの漢方薬「麻杏薏甘湯」はさらに時間がかかるだろう。

 

寝ようとして準備していたのに、なんだか布団も敷けず、歯も磨けず、だらだらしてテレビの前で横たわっていただけ。

なんとかならないかなあ……

(ん? そう言えば今日は雨だったから、低気圧のせい??)

 

明日は晴れて暖かくなるようだ。午前中、疼痛の発作があまり出ない時間帯に、散歩でもしたいな。