■6/9(日) 断酒949日目(130609)
■この2日ばかり、更新継続中とか書きながら、夜になると眠気に堪えられずに書きっぱなしになってしまっている。
8時半起床。
チーズで朝食後クスリ。洗濯機のまわる音を聞きながら、ぼんやりと覚醒。
洗濯物を干して10時。これからシャワー。
風呂に入らず、シャワーだけですませていると、月の請求が数千円も違って来るのには驚くが、芯からの疲れはなかなかとれない。
今日の夜にでも入るかな。
■生活保護が決定されるかどうか今週決まるが……どうなることやら。
しかし担当者の家庭訪問の際に驚いたのは、もし保護をやめるなら、全額返済してくださいということ。
これは、生活扶助や住宅扶助、医療扶助すべてを含めた全額ということ。
生活扶助や住宅扶助についてはわからないでもないが、大きな問題は医療扶助。
生活保護を申請し、その申請が受理されたときに国民健康保険証は取り上げられてしまうのだが、その後保護が決定されると、市区町村が医療費の10割を負担してくれることになる。
実はこれがけっこう大きい。
例えば生活扶助と住宅扶助を上限のおよそ12万円としたとすると、半年で72万円。
ところが国民保険に加入していたときは、医療費の3割を自己負担していたのが、とりあえず無料になるのはいいが、保護をやめて自立したいとなると、大変な金額となってしまう。
小生の場合で行くと、消化器内科で高いクスリのお金を含めると、最近は平均で月1万5千円ぐらい。
これは3割負担だから、10割に換算してみると、5万円。
これを半年続けたとすると、30万円もの金額となってしまう。
生活&住宅扶助と合わせると、なんと102万円という計算。
この間文庫本を1冊書いたとして、印税を少なめに計算したとして(とにかく出版不況)手取り60万円。
半年後に自立しようと思っても、42万円足りないということになってしまう。
つまり、自立したくても出来ないということに。
「では、どうするんですか? 60万円稼いだとなると、月収の上限である12万数千円を超えることになります。しかも収入は年に平均してならすことはなく、あくまで一時に入った額で計算するんですから、稼いだ瞬間に保護が打ち切られるのでは?」
と尋ねると、
「いや、60万円全額払ってもらって、そのまま保護を受け続ければいいんです」
という答えだった。
このあたり、もう少し詳しく聞かないといけないが、ともかく現在は家賃も滞納の限度だし、毎日の食材もぎりぎりだから(底を尽きかけている)、助けてもらわざるをえないのだから選択の余地はないんだけど。
しかしこれって、自立をうながすという法の趣旨から逸脱しているのではないか。
かえって生活保護費で一生暮らしてりゃいいや。形だけでもハローワークに行って職探しをしてダメでしたとアリバイを作ればいいやという、それこそ寄生者が増える一方のような気がするのだが……
この蟻地獄から逃げ出すためには、半年の間に2冊立て続けに出さなければならないが、はたしてそれがこの不況や自分の実力不足でできるかどうか……
あとは
「受けなければならない。あるいは受けたい医療をガマンして、医療扶助がかからないようにする」
という、なんだか本末転倒の自衛策をとらなければならないということになるのだが……
返済するというのはわからないでもないが、全額というのが正しいのか、分割支払制度というのはあるのかどうか、それでも払えない場合は保護を受け続けるしか生きる術はないのか……
これって、少なくとも自立をめざす人間にとっては、
税金を無利子で使わせていただく。
だけのことではないだろうか。
もちろんそれだって、まともに働いてきちんと税金を払っている人たちのお世話になっていることなのだから、申し訳ないことだし、感謝しなければならないのだが、ちまたに言われるような
「数百万円、働かずぶったくり」
というわけでは必ずしもないのである。
働けるのに働かないで保護費をもらう不正受給者は問題だが、一方ではこうした制度的矛盾――市町村がいかにお金を回収するかが目的となってしまっている――も存在するのだ。
詳しくはまた後日。
■しかし昨夜観た『シコふんじゃった。』、ダメダメだったな。
同じ周防監督の『Shall we ダンス?』があまりに面白かったので(なんと初めて観た。竹中直人ってすごかったんだと再認識もしたんだけど……)、空回りして、受け狙いが見え見えで、正直時間を無駄にした。
■今日はバリバリ進むと言ったクセに、お昼から爆睡してまい、スタートが遅れて結局4ページ。ふんがあ……
娘からのメール。
「髪は、もう黒く染めちゃった!今は頭は黒、下が茶色、そして中は赤という髪になってる笑
しかもブルーブラックって色いれたから、黒が落ちてきてだんだん紫になってきた笑」
と書いて来たので、「想像図」を送ったら、
悶絶するぐらい笑ったらしい。
■『英国王のスピーチ』鑑賞。コリン・ファースの演技力の高さと確かさにうなる。
このところ堰を切ったようにDVDを観ているのは(旧作100円がほとんどだけど)、会社を辞めて困窮を極めていったため、映画鑑賞ができなくなったし、それならもういっそのこと自分の人生とは無縁のものとしてしまおうと決心したから
その後さらに困窮が続き、父が亡くなって実家を売り、弟と分割をして、その弟に借りていたお金を返し、元妻に500万円を渡して離婚して、そのお金をsyonanに移り住む原資として、机から椅子からテーブルやデスクはもちろん、布団から鍋、フライパンなど生活必需品のすべてを買い求め、さらにその間、今は元妻の弟が自分名義で買って愚沙汰ために競売寸前だった家の住宅ローンを月に20数万円も払っていたから、あっという間に、1年もしない間にすっかりお金がなくなってしまい、映画からはますます無縁となってしまった。
ツタヤは以前、旧作だってレンタル料高かったから借りることさえままならなかったのだ。
それがこのところ、フレッツなどの回線にテレビ信号を載せて、家庭のふつうのテレビで映画を愉しめるようになってからレンタル料が格段に安くなり、ようやくのことで映画鑑賞をすることができるようになったから。
純粋に映画を楽しむのはもちろん、考えもしなかったような小説のヒントを得ることができるから、まったく関係のないと思われる作品でも、僕にとってはアイデアの宝庫というより、脳の奥深くに眠っていたなにかを引き出してくれる大切な役割を果たしてくれるという意味で、この十数年見ることもできなかった、しかし見たかった映画をむさぼるように観続けているのだ。
そんなこんなの話もまたいつかしたいと思っている。
今日はもう寝てしまおう。
明日こそ原稿がはかどりますように。