✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■1/18(金) 淡々と前へ。

今日はまあまあ。

なにも考えずに、自分で決めた時間をただ守っただけで、これだけ仕事というのは進むのだなあと、この年になっての感慨。

いろいろと悩んできた挙げ句に感じたことは、娘が明日センター入試という段になって、

(ああ。ここまで来たか)

という諦観が湧いたからのような気がする。

つまりもう、どんなにじたばたしようが、プレッシャーにつぶされるより一歩でも前進した方がいいと、ようやく腹をくくりつつあるのだろうと。

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※火曜日に宿の庭で見た寒桜。

 

アルジェリアの人質について、情報が錯綜しているからわからないが、とても心配している。

というのも、確かに上の息子の口から、

日揮

というプラント会社の名前が出たのを聞いた覚えがあるからだ。

 

とにかく海外で働きたいと言っていたのだが、あからさまではないにせよ、そこは馬鹿親。イスラム教徒がジハードを闘っているエリアで働いて欲しくはなかったから、やんわりと反対はしていた(イスラム原理主義という言い方はおかしい。だとしたらアメリカなどキリスト原理主義というべきだろうし、イスラエルはユダヤ原理主義というべきだろう)。

それが何度か続いて、わずらわしさを感じたのか、そのうちメールも電話も、連絡が来なくなってしまった。

どこかに内定が決まったらしいが、どこなのか皆目わからない。こっちから電話するのもお節介だろうし、

妹、すなわち我が娘は自分の受験に頭がいっぱいらしくて、それとなく聞いてみてくれと頼んだのに、もう半年以上がたった。

 

親として、僕の立場はそろそろ終わりなのかなとも思う。

寂しいことだが、確かにどんな職業に就こうとも、僕は

「おめでとう」

というだろう。言うしかないだろしか

 

つまりは、そろそろ世代交代の時期なんだなと。大げさに言えば。

だとしたら、後は自分の歩みを絶やさぬのみ。

一歩一歩歩くしかないのだと、まわりくどいけれども、そんな諦観なのではないだろうかという気がしている。

 

今日はカレーを作った。