✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

専門出版社全盛の時代がやって来る!(1)

専門書に限定した出版社というのは強い。

複数の専属記者を抱えているところもあれば、たったひとりでコツコツと月刊誌や書籍を作っているところもある。

とにかくそこじゃないと作れない本を売るのだから、これほど強いことはない。

人事異動で社員を大幅に入れ替えても、成り立ってしまう雑誌や書籍を数多く抱えている総合出版社との大きな違いはそこである。

例えばであるが、潮書房が出している月刊『丸』など、戦後に創刊され、編集方針は多少変わったようだが、基本的に軍事関係の雑誌として不動の地位を保っており、なんと70年もの長きにわたって続いているのである。

東大や早稲田は出たけれども、軍事関係なんかちいとも分かりませんなんて社員編集者は、ただの邪魔扱いされてオシマイだろう。

しかも写真や表も豊富だし、自衛隊OBはもちろんのこと、創刊期には

「いまだから話せる」

と口を開いた軍部出身者の貴重な証言が載っているのだから、その時代の証言集としても大変貴重である。

そういう意味ではもう少し脚光を浴びてもいいとも思うが(版元の潮書房としては、買いたい人だけ買えばいいということなのだろう)、ともかくそのブレの無さは驚嘆に値する。

 

専門の本というのは、なにも雑誌ばかりではない。いわゆる単行本も同じ理屈だ。

こちらは圧倒的に理科系の本が多いが、世の中には僕のように、頭の構造が完全に文系だからして、テレビなどで良く耳にするニュースの内容がほとんど理解できないというケースが多い。

たとえば「宇宙をロケットで飛ぶ」ということはどういう理屈なのかについて、文系人間はすぐさまSF映画を思い浮かべ、将来戦艦大和クラスも飛べるようになるのかぁなどと、ちんぷんかんぷん、ただ「飛ぶんだ」という前提をそのまま呑み込んでいるだけで、じゃあなんで飛べるのか? という科学的に知識については、すっ飛んでしまっている。頭に入ってこないのだ。

大怪獣ガメラが飛んでいるのと同じ理屈なんだろうと自分の頭の中で勝手に納得してしまっているらしく、疑問にも思わない。文化系の頭脳なんぞ、しょせんSF映画並みにトンデモナイのである。

(そ、それにしても古い……ガメラなんか知らんという子供の方が圧倒的に多いぞ)

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怪獣映画は東邦の独壇場だったが、悔しい大映はこのガメラゴジラに対抗しようとした。ガメラは回転して宇宙を飛ぶという発想が完全に文化系😅。しかし観客の方も、デカい亀の尻からなぜジェット噴射できるのか不思議に思わない。そういうもんなんだろうと思っていた節がある😓。映画の方は現在もちろんKADOKAWA所有である。

 

例えば「火星」についてのニュースが流れたとする。

では「火星」の表面はどうなっていて、空気や大地はこうした構造になっていると推定され、これなら人類が住めるのではないかと、「火星移住計画」が持ち上がっているが、これを提唱しはじめた実業家のイーロン・マスク氏はどのような人間で、エンジニアでもある彼の持論はこうである。

ちなみに地球から何光年離れていて、これは太陽系の太陽から近い方から4番目の惑星であり、地球型の惑星に分類されている。

直径はどのくらい、平均気温は何℃ぐらい、大気の組成は……

 

といったような事柄についてわかりやすく説明した書籍なんかがあれば、

「一冊買って読んでみようかな」

と思う文化系だって多いはずだ。

火星に限らず、宇宙についての話に興味を持っている文化系あるいは他分野の理系で宇宙についてはまったくわからない理科系もいるだろうし、逆に深海について興味を持っている層だっているだろう。それこそ新型コロナウイルスに代表されるウイルスについての入門書を読んでみたいと思い始めた潜在的な購買層だって多いはずだ。

 

こうしたある特定の購買層だけを対象に、細細と出版を続けてゆくわけだが、これは強い。

総合出版社にできることといったら、せいぜいどこかの大学などで研究者や教授など学者を捕まえてきて、彼らが思うがままに原稿を書かせて、新書あたりで出版するのが関の山。

ところが優れた研究者に限って、一般向けに原稿を書く能力がなかったりするから、結局は編集者らによる口述筆記によって原稿をまとめなければならないが、こんどは編集者に理系の人間への質問ができるだけの能力・理解力が必要となってくる。

本来であれば、そうした編集者を育てれば良いはずなのだが、ここが総合出版社の泣き所、そんな悠長なことをやってたら、社員に高額な給料なんか払えなくなってしまうのだ。

とにかく一銭でも多く稼ぐために、新書部門にいる編集者には、月に4冊も5冊も出版しろというノルマを課して、書店の棚(本棚のことですね、もちろん)を占領する目的もあって、宇宙からウイルスまでの新書を、ひとりの編集者にやらせる他ないのである。

つまり総合出版社の編集者は、芸能界に蔓延する薬物についての知識から、トランプ大統領の政策の問題点について、さらにはイスラームとはなにかという入門書、あるいは鮨や蕎麦など日本の食文化についてなどなど、みんな頭に入れておかなければ、それぞれの専門家に質問ができないどころか、そもそも企画が立てられないということになってしまう。

 

つまり、出版社自体が総合を目指すなら、編集者個人個人も必然的に総合的知識が要求されるようになり、総合出版社においては、いつまでたっても専門家が育たないということになってしまうのである。

 

それどころか、たまたま学生時代にある分野についてきちんと勉強して来た編集者がいたとしたら、その人間は出版社内で完全に出世部門からはずれ、ヘタをするとその存在すら、

「ああ……そんな人間いたね」

と忘れられかけてしまうほどなのだ。

新入社員時代、 世間を騒がせたO157事件を契機に細菌やウイルスの世界に魅入られ、興味を持った編集者など、

「いざというときいたら便利な存在」

ぐらいの扱い方しかされない。

総合出版者で必要とされるのは、自社のあらゆる部門について広く浅く知っているという人間なのだ。

こうして専門誌は敬遠され、同時に専門知識を持った編集者は育たないどころではなく、(他分野の)仕事ができないと軽んじられ、あるいは煙たがられて、事実上排除されてしまうのである。