✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

総合出版社は軒並み地獄を見ている。

な、なんでだ? 下書き消えとる……😭

夕方書いて、寝る前に続きを書いてと思ってたのに。

はてなのバカヤロー!

 

というわけで(どういうわけだ)、出版不況と言われて何年経つのかわからない状況下、つぶれているのはみんな総合出版社あるいは総合出版社を目指して経営していたところです。

総合出版というのは、男性誌もあれば女性誌もあり、かと思うと料理に特化したムック本や、タレント・アイドルの写真集あり、文庫もあれば当然新書もあるし、芸能誌もあればテレビの番組雑誌もあるし、重厚な全集とか辞書の部門まで持っている。

中でもバタバタとつぶれていって、その勢いが止まらないのが中小の総合出版社です。

先日も知っている会社がばったり倒れてしまって起き上がって来ませんでした。

中小でつぶれていないところは、出版とはまったく関係のない事業を持っていて、それがなんとか軌道に乗っているところ。

例えば学習研究社(学研)で言うならば、出版部門を次々と縮小整理して、その分を高齢者向け住宅の経営、介護施設子育て支援施設の管理、すでに売り飛ばしちゃったけれどもクレジットカードの子会社などなど、いったい何の会社かわからない、儲かればそれでいいのかなんて会社に成り下がってしまっている。

一方で『アンカー コズミカ 英和辞典』とか立派な辞書を出してるし、日本史ファンなら誰でもいちどは手にしたことがあるだろう歴史群像シリーズがあるかと思えば、『週刊パーゴルフ』なんて老舗の名雑誌も意気軒昂、なのにもかかわらずである。

本が作りたくて学研に入ったのに、子会社に出向させられ、介護施設の経営に携わるとかあったりしたら、そりゃあショックだよね、いくらつぶれないで生き残るためだとはいえ(実際の人事異動の様子は知りません)。

これじゃ編集者のモチベーションは下がりまくりだろう。

 

徳間書店は学研に先んじて(?)、ホテル経営とか馬主になるとか、まあなんだかワケわかんない方向に行きかけたんだけれども、ハッと我に返ったのかどうか、今では間違いなく総合出版社として頑張っている(創業者の直系であるカリスマ編集者・徳間康快氏によって会社は発展するも、次第に拡大路線を突っ走った結果業績が悪化し、バブル崩壊とともにとうとう破綻、彼の死後は会社整理の意味合いがあって、さまざまな事業を売却したのだけれども、これが逆に本業に立ち返らせる結果となった。

とりわけ徳間氏が育て上げたスタジオジブリまでをも分離独立させ、徳間書店は純然たる出版社として再スタートを切るなど、なみなみならぬ努力を重ねた上で現在に至る。

この拡大路線を踏襲しちゃったのが今のKADOKAWAで、徳間から買収した大映などを母体に映像産業に力を入れるなどして、徳間康快の目指した経営を実現する形となっている。

国文学者であった角川源義氏が創業した角川書店に、徳間康快氏の血が混じって流れちゃったわけであり、逆に徳間書店の方は純然たる書店経営に立ち戻ったというのがなんとも皮肉。

老舗の他の出版社から、角川源義氏の長男である角川春樹氏に対する蔑みの念を感じるのは、そうしたところにも原因があるだろう。

ともかく学研も、KADOKAWAの真似をするんじゃなくて、徳間書店の真似をして欲しかったものだ。いつか本業に立ち戻ってくれるといいなあ。

 

その他つぶれていない出版社というのは、老舗がほとんど。

大出版社だからつぶれないというわけではなく、スタートが早かったがために、いつの間にか大出版社になっちゃったというところばかりだと思う。講談社しかり小学館しかり。

 

なにしろ戦後の日本は、次世代の担い手がみんな戦死しちゃったりシベリアで捕虜になっちゃったり、無事に内地に戻ってきたとしてもその日食べるだけでも必死なんていう時代。

いくら出版社が戦前のような会社を再生させたいと願っても、書き手(描き手)がいないんだから、こればかりはどうしようもなかった。

だから当時の編集者は、生き残った作家だの画家だのを探し出して来たり、新しい書き手の生活の面倒までみながら育てたり、それこそ漫画みたいな話だが、出来上がった本をリヤカーに乗せて書店に配本に行ったりしていたのだ。

こうしたしがらみがあって、なかなか電子出版だのネットマガジンだのに手を出すわけには行かなかった。それでは書店も取次もつぶれてしまうからである。

こうした創業期の編集者が汗みどろになったからこそ、今の大出版社があるのである。足を向けて寝ちゃいけない(俺は向けちゃったい😅)。

 

で、大きなしがらみのひとつに、出版をするために必要な紙代、印刷代などは後払いで許してもらう一方で、取次から入ってくる売り上げは、実際に売った本の金額ではなく、出版社が10万部刷ったらその部数通りのお金を先払いしてもらっていたということがある。

で、実際には5万部しか売れなかったとしたら、1年後とか半年後とかに精算をし、もらい過ぎたお金があったら取次に返すなんて夢のような時代があったのである。

 

出版社がしっかりしてくれなければ、取次も書店も印刷所も倉庫会社も紙問屋もどこも立ち行かなかったのだから、みんなで出版社を育てたようなものなのである。

だから書店で本が売れなくなってきたと言われたって、そう簡単に書店を切るわけにはいかない。

(当時の国民は娯楽に飢えていたから、本は売れる売れないどころか増刷に次ぐ増刷を重ねたから、取次にも余裕があったし、心配は杞憂に終わっていたのだが)

ところがン十年前から次第に読者の活字離れが叫ばれ始め、取次や書店が苦境に陥るようになって、こんどは出版社が恩返しをする番がまわって来た。

ちょうどインターネットが普及し始めたころだが、取次や書店を置き去りにして、本を読者に直販するなんてことは、とってもできなかったし、考えもしなかったに違いない。

 

この間隙をAmazonに突かれ、電子出版でほとんどタダみたいに読める作品まで出て来る段階になっても、出版社としては取次や書店を見捨てることはできなかった。

ところが取次や書店の問題だけでは終わらず、

「作家が食えない」

というさらに酷い状況になってきた。

だから作家(中堅以下と言っていいだろう。大御所の作家はやはり出版社を支持していた)がAmazonだろうがアマゾネスだろうが、どこでもいいから自分の本を売って欲しいとなったときに困っちゃった。

なにしろ作家にとっては安い値段であろうが、出版社の印税10パーセントどころではなく、電子書籍の代行会社から60パーセントとか70パーセントの高利率で印税が入るわけだから、多少単価が安くても部数が出なくとも、なんとか食うだけは食えるようになって来ちゃったのである(今はまだ過渡期だろう。今後どうなるかはまったくわからない)。

 

松本清張先生のように、六本木だかの一軒家で妾を囲っていただの(噂どまりか?)、流行作家の五味康祐氏が文藝春秋の熱海の寮に引きこもって、仲間と麻雀に明け暮れた挙げ句、負けが込んでスッカラカンになったとき文春の担当編集者に、

「金ガ無イ。送レ」

とだけ電報を打ったら、深いことはなにも聞かれずに、翌日郵便局に大金が振り込まれていたとか、国宝級の美術品に目の無い川端康成先生から、

「執筆に必要だからあの掛け軸を持ってきてくれ」

と言われて持って行ったらその後何年も返してくれなくて苦労した(どうやら川端先生は、すでに自分のものだと解釈していたらしい)なんて豪快な逸話がいくらでも出てくるなど、もう夢も夢という時代に突入していたのである。

丸谷才一先生クラスですら、

「おい君、僕のこの本、4000部しか刷らないのかね」

と編集者に文句を言ったら、

「5000部になったよ」

と後日苦笑いしておられたのだから。

 

例外と言えば、眠狂四郎を書いた柴田錬三郎先生や、日本の歴史小説を一変させ、『天と地と』に代表される海音寺潮五郎先生や『樅ノ木は残った』の山本周五郎先生などをあっという間に過去の人にしてしまった司馬遼太郎先生ぐらいのものではなかったか。

 

こうなるとまた出版社としては困るわけで、大御所が消えた後、虎の子として大事にしている中堅作家の機嫌を損じて著作権でも引き上げられたりしたら、ビル1棟分ぐらいの利益なんか簡単に吹き飛んでしまうので、渋々アマゾンあたりに門戸を開いていくしかなかったんだろうと思う。

ここにおいて、江戸時代以前から伝わってきた日本の版元制度は、確実にぶっ壊されちゃったわけだ。

グローバル社会というのが、メーカーなどの企業だけではなく、自分たち出版業界にも及んでくるなんて、当初誰が想像しただろうか。それをのんきに、

グローバル化大賛成! 既成の古い伝統をぶち壊せ!」

なんて論陣を張る学者などの本を嬉嬉として出版してたんだから、おめでたいものである。

既成の古い伝統って、出版業界もそうなんだよ! ってことがわからなかったお粗末。

f:id:blueseashell:20200211030506j:plain

赤塚先生、無断使用ごめんなさい。でもお酒送ったことあるんだし、許してちょ。

しかしそうした慣行に乗ることができなかった後発の出版社は、売り上げをもらうにも実際の売り上げしかくれないという厳しい契約をさせられるようになってきた(まあ商売って本来そういうものだけど。出版業界は特殊だったのはその点を見るだけでもわかる)。

そりゃ取次側としては、決算が半年後1年後なんてことやりたくないわけで、出版業界が無事育ったとみるや一転、中小の後発出版社にとっては酷なシステムに移行していってしまった。

「じゃあ、出版なんかみんなダメじゃん」

と言うなかれ。

 

「専門出版社」という少人数で趣味みたいにやってるところは、ちゃあんと生き残ってるし、今でも創業してるところはあるのだ。

 

その上、電子出版・電子書籍という既存の大出版社には向かい風となったグローバル化が、そうした小規模で専門書籍だけしか出さない出版社には

「電子出版で十分。綺麗な写真を見たい方は、数千円もするこっちの写真集をどうぞ」

なんて形がとれるようになったことで、追い風となっているのである。

この専門性を見つけることによって(というより元元学生のころからそれが趣味だったっていう編集者兼社長夫婦なんてところが多いけれども)儲けられる出版社という、Amazonもおいそれとは手を出せない会社を立ち上げられるのである。