■12/25(火) 作られた正月。
年末年始になると毎年不愉快になるのは、これまた毎年書いているような気がするけれども、新暦のこと。
世間的には年末年始だし、そうした雰囲気にひとり逆らっても意味がないことは重々承知の上で、やはりこんな凍えるような季節に「正月」というのはムリがあるだろう。おかしなことだろうという気持ちがしてならない。
旧暦に従えば、次の正月は2月10日の新月の日であり、やはり1カ月早すぎる気がする。
今の暦だと、体感的な春の訪れまでが長すぎると思うのだ。
明治政府というのが、新暦を制定しただけではなく旧暦の使用を禁止してしまい、わずかにJAなどの農業用の日めくりカレンダーにその痕跡をとどめる状態にしてしまったことが、日本が季節感を失っていった遠因なのではないだろうかとひそかに妄想しているのだが。
しかしその妄想が当たっていないこともないと思うのは、アジアという農業主体であった数々の文明のほとんどが、いまだに旧暦(正確には太陰太陽暦)を日常的に使い、西洋歴と並存させているにもかかわらず、日本だけが突出して「脱亜細亜」を図ったことが、日本の現状を醜いあひるの子にしているからである。
いや、これも妄想か。
しかし、西洋から見ても東洋から見ても、日本というのは決して白鳥の子になれるはずのない、双方から醜いと感じられるようないびつな国になっていることだけは確かだと思う。