✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 11/23(金) 結婚できない若い男女という事実から見えてくるさまざまなこと(1)

先日NHKの番組で、結婚できない若者たちの特集をやっていたが、女子が希望する相手の年収が600万円。対して若い男性の年収の平均は200万円とのことで、このミスマッチが大きな原因であると放送していた。

 

僕はこの、「女子が相手男性に求める年収600万円」というのは、その女子が、

1)結婚と同時に専業主婦となることを望んでいるのか。

2)結婚しても共働きを続け、子どもが出来たら退社して専業主婦として生涯やっていくつもりなのか。

3)結婚しても共働きを続け、子どもが出来たらもっとも忙しい間だけ休暇をとって、またもとの職場ないし似た職場で働き始めるのか。

がまったくわからなかった。

 

他にも選択肢はあるのだろうが、とりあえず僕の頭に浮かんだ3つの中では、どのような状況で「年収600万円」と言っているのだろうかと、少々疑問に思ったし、番組として曖昧だなと思った(ディレクターがアンケートを作成する際、単純に「相手に求める年収はいくらですか」という問いしか載せなかった可能性がいちばん大きい気がする)。

 

まず1)だとしたら、まずこれは、男女の別なくリスキーな考え方だろうと思った。

かつて日本が右肩上がりの経済的成長を続けたときに、国策としてとられた日本特有の家族のあり方であって、世界からみても極めて珍しい社会構成だったはずだ。

「男は外で働き、女は家を守る」

当時、額に汗して働けば、将来に希望が見いだせた時代、そして西洋に追いつけ追い越せと前ばかり見ていれば良い時代にはうまく働いたかも知れない。

しかし世界経済全体が後退し、日本自体が追いつけ追い越せの目標とされ、あるいはすでに抜き去られてしまった現在、男女双方にとって、とてもリスキーな生き方、役割分担になってしまったと思う。

もともと男女の権利について意識の高かったヨーロッパでは、さらに大きな変革が国策として命じられたばかりだが、日本は相変わらず旧態依然としたままだ。

官界も経済界も、世界一流と自画自賛していただけで、ただの物まね三流国家だったというのは昨今ようやく見えて来たけれども、それでもなお、日本は世界の潮流に乗り切れずに、後手後手にまわっている。

これはどうも民族的特質とも言えるのかもしれない。

                                  (続く)