✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 8/13(月) ①盆の入り。ひとり迎え火を焚く。

断酒617日目。盆の入り。

去年は迎え火を焚くおがらを買うお金すらなかったが、今年はなんとか花を飾り、お菓子を供え、最低限の形だけは整えることができた。

わずか4日間だけど、ここでゆっくりしてもらおうと思う。

 

娘へのリトルピンクの文房具その他を送り、スーパーでお供え用のお饅頭5個入りセットを買って、ベランダで送り火。

風が強いから、深い鉢の中でオガラを燃やした。

 

このsyonanの地からほど近い鎌倉の結核の療養所には、僕が会ったことのない母方の伯父さんが治療のために入院していて、そこで息を引き取ったという。

その伯父さんが、鎌倉の海を眺めている古い写真があるけれせども、当時の鎌倉の海岸は、ただの寂れた漁師町だった。

療養などといっても、当時の医学からしたら潮風を肺に取り込んで結核菌が増殖しないこどう“期待する”だけのことで、結局伯父さんもそこで生を終えたという。

 

僕を可愛がってくれたおじいちゃんにとっては、最愛のひとり息子であったわけで、争議を終えた後、墓のある多磨墓地の前に座り込み、一升瓶を片手に墓に語りかけて、べろべろになって帰ったと、これも亡き母に聞いたことがある。

だからだろう。

いろいろなところに連れて行ってくれたおじいちゃんが、僕を鎌倉だけには連れて行かなかったのは。

 

幸いにして、写真の裏にその療養所の名前が記してあるので、もちろん今はもうないに違いないその療養所のあった場所を、探して訪れてみようと思っているが、おじいちゃんの魂魄がこのsyonanを訪れるのは、だから少し辛いことかも知れない。