✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 8/3(金) ④なにが売れるかわからない時代に、過去の成功例にしがみつく怖さ。

これはかつての僕の古巣で、今でもいろいろとめんどうを見てくれている先輩編集者の言葉なのだが、

「オレはさ。編集長になってから、編集者時代には見えないものが見えるようになってきたよ。業界全体が俯瞰できるようになったっていうかさ」

と前置きしてから、

「たとえば芥川賞とか直木賞な。その他の文学賞もふくめてだけど、ずいぶん前に

ライトノベルス出身の作家が、文学賞を総ナメする時代が来ますよ』

と言ったことがあるんだよ。それを聞いた先輩や営業の人間は、まさかって顔して一笑に付してたけどな。でもすでにそれが現実となりつつある。だって圧倒的に読者多いんだしさ。文学賞ってのはその時代を映す鏡でもあるわけだし」

と語っていたことがある。

 

そして続けて、

「この分野がむずかしいのはさ。マーケティングがすべてじゃないってこと。そりゃ俺たちだって商売だから、読者への傾向と対策はたてるから、過去どういうものが売れたかとか分析して、こういうものが売れるってものは持ってるけどな。こわいのは、それがいきなり崩れるんだよ。マーケティングからすれば絶対に売れないんじゃないのって作品がメガヒットしたりさ。もう数え切れないぐらいある。そんなことが何年ごとどころか、毎日のように起きるわけ。オレはもう慣れちゃったけど、最初はとまどったよ。

だって、ジャンルとかわけても意味が無くなってきてるんだから。そうした若い作家の作品を吸収できるかどうかは、すべて編集者のカンとか感性にかかってるわけ。編集者がいらないって言った作品が、他社から出されて大ヒットしたなんて珍しくもなんともないし、逆に編集者や審査員の作家が『これはいい!』と全員一致したような作品がぜんぜん売れなかったりするんだよ。今の若い人って、何々賞作家とか関係ないから。面白けば買う。ずっと買い続ける。でも面白くないと思えば大賞受賞作であろうが、オビに『何々先生絶賛!!』とか入れてもなんにも反応しないから」

と言っていた。

 

つまりそれほどフレキシブルというか、読めない時代になっているのである。

そうした時代において、過去を分析し、これは売れるけどこれは売れないといったマーケティングはますます意味をなさなくなっているのだ。

果たして石橋を叩く編集者がこの流れについていけるかといえば、その答えはこれまた明らかだろうと思う。

そしてその出版社で、カンと感性のある若い編集者を育てていなかったら……あるいはその才能をつぶしてしまっていたら……(感性という口ではうまく説明できない才能をつぶすほど簡単なことはない)。

 

(うわ、そろそろ脱水やってる音が……でもいちおうのマトメを書かないとあまりにも中途半端だ)