■ 7/28(土) ⑥官僚の力を弱めるには(2)
では、公務員の給与を削減するのではなく、逆に何倍もの大金を与えたらどうなるだろう。
もし彼らが慣例にならって自主的に辞める際、1億円だの3億円だのの退職金をもらえるとなったら、まず天下り先の確保に身を費やすことが激減するに違いない。
(同期の誰かが次官となったら、残りの同期生がいっせいに身を引くという慣例はもう時代錯誤として廃止し、きちんと定年退職制度を導入すべきで、65歳なら65歳まで働かないと退職金の算定額にものすごい差が出てくるようにすべきだと思う)
だってマスコミだの世論だの一部政治家に叩かれるリスクをかいくぐって天下り先を作る必要がなくなるのだから。
そして次に、官僚OBやOBたちの再就職先の企業等との鉄の連携を断ち切ることができるようになる。
言い換えれば、政財官のトライアングルに大きな風穴を開けることが可能となるのである。
現役官僚は、自分たちが辞めるときのことを考えて、すでに再就職先にいるOBたちになかなかズバリと物を言えない。
それどころか中にはすり寄っていく官僚も多いだろうと思う。
ところが、そんなことをしなくても十分過ぎる退職金がもらえるとなれば、こんどは逆に時の政権やマスコミから叩かれる可能性のあることに手を出さなくなる。
だって、OBになかば強要されて民間企業に便宜をはかるなんて危ない橋をわたる必要がなくなるのだから。
■元官僚や政治評論家などがよく言うことのひとつに、
「学生時代、なんとかこの国をまともにしたいと情熱をもって省庁に入ってくる人間はたくさんいる。それが2年3年5年10年とその省庁で働くうちに、官僚組織に完全に組み込まれてしまって、当初の情熱は色あせてしまい、結局自分自身もその省庁の利益しか考えない人間になっている」
というものがある。
これはもちろん、官僚の中にも立派な人間がいるという擁護論のひとつとして語られるわけだけど(大津市のいじめ自殺の時も同じように、
「日本にはこんな先生や教育委員会だけじゃなく、立派な先生がたくさんいるんだから」
という、一種国民の思考停止を導くような言葉がよく使われる。そういう人間に対しては、「立派な先生が何人いるか、実際に数えたのかよ」と突っ込みを入れたくなる(。*`ω´*) 、
その立派だったはずの人間が、OBとなってから私腹を肥やし、2号さん3号さんを囲い、庶民には手が出ない立派な土地家屋を購入し……という、まさに南宋の時代の腐敗した国家官僚と同じ図式となってしまうのである。
この類似性には僕自身驚くと同時に、
「人間の本質なんて、さほど変わらない」
という持論の正しさがますます証明される事実として胸を張っている(張ってどうする)。