✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 7/7(土) ①津波避難訓練の朝。

午前9時。

市の有線放送がなにかしつこくしゃべり続け、続いて津波警報がなり、団地のあちらこちらから住人の声がして、なんだ? と思っていたら、-

あ。今日は「津波対策避難訓練の日」だった。

ベランダに出たらようやく有線放送の内容がわかったけど、サイレンがなったらすぐに高台に避難しましょうということだった。

って、実は僕の住んでいる階の高さは、この辺りの広い襟名ではもっとも海抜が高くて、避難場所として指定されてるんですよね。

つまり逃げなくていいの。

どっちかというと、階段をかけのぼってくる避難住民を部屋にいれるかどうか、そっちを悩まなきゃならない。

「子どもだけ! 次はお年寄り!」

と叫んで、中にいれちゃうだろうなあ、僕は。

 

いや、お年寄りには申し訳ないけど、今後生きていくためには子ども連れの夫婦を優先すべきか。

屈強な住人が無理矢理入ってこようとしたら、そいつを殴り倒してでも阻止して、未来を生きる子どもたちを入れるべきか。

避難した比較的近所の住人が、津波が去った後も行くところを失ってしまった場合、しばらくでもここに泊めるべきか。

などなど悩んでしまうことはたくさんある。

 

南海大地震、ヘタをすると40万人の死者が出るという学者さんの意見が昨日発表されたし……海のそば、川のそば、ダムのそば、崖のそばなどに住んでいる住人たちにとってはまさに「自分事」。

これは申し訳ないけど、広島・長崎のような原爆被害者よりも人口に膾炙した問題として、今後長期間にわたって意識される問題だろう。

 

偶然、ほんとにたまたまポカリと空室が出たこの部屋に住んだら最上階だったけれど、これが1階や2階だったとしたら、階段を駆け上がって逃げる努力をしただろうか。

それとも、もうちょっと疲れたからということで、他の避難者に道を譲り、そのまま部屋に居続けて、最愛の子どもたちに向けて遺書を書いているだろうか。