■ 7/6(金) ⑥今日という日に決心したこと(2)
では、その1年間練り上げた方のプロットをどうするかというと、これを
「文学賞に応募してみよう」
と決心したのだ。
もちろん賞なんてとれないと考えていた方がいいし、しかしそれでも最終選考にまで残れば、その会社の編集者とは連絡をとりやすくなる。
そして、
「自分は生涯<賞などとは無縁だ」
とあきらめていた自分が情けなく思えたからでもある。
自分の寿命は、一般の健康な人の平均寿命より短いだろうと悟ったことが、心変化をもたらしたのだろう。
一度きりの人生、チャレンジしなきゃつまらないじゃないかと。
何度もなんどもチャレンジして、その結果まったく通じなかったとしても、死ぬ前の病床で、
(オレは、やるだけのことはやったな)
と思って死ねるじゃないかと。
そうじゃなきゃ、それをしなかったら、
(やっぱりあの時挑戦してみるべきだった……)
と後悔の念のなかで溺れ死ぬことになるだろうと。
根回しをしてもらっている新しい出版社にもっていくプロットは別に考えればいい。
というより、アイデアなんかいくらでもある。ノートに書きとめてある。
それらの中から、その社が喜びそうなものを選んで持って行けばいい。
今回ボツを食らったプロットと第1章の見本は、いろいろと理由があったのだけれど、それらはいちいちなるほどと納得できるものだった。
ただひとつだけ、
「トーンが暗い」
と言われたことにショックを受けた。
かなり明るい展開になるだろうと思って書いていたし、それはおそらく伝わるだろうと思い込んでいたのだが、まさか暗いという評価を得るとは思わなかった。
それだけはなぜそういう印象を持たれたか理由がわからず、わからないからこそショックだった。
読者を心底笑わせるために、わざと用意した舞台が暗いと受け取られるとは想像もしていなかったのだ。
第1章だけだから通じなかった可能性があるのだが、これは絶対に暗くないという自負がある。読者が笑いながらも身につまされる物語を書くためには、冗談だけで突っ走ってはダメだろうと狙って書いたのだ。
しかし待てよ、とも思い直した。
自分が療養している間に、このジャンルは底抜けに明るいストーリーが主流になっていた可能性はないかと。
ハハア。
それで少し納得した。
自分は少しも暗いとは思っていないのに、ジャンルの主流自体がはるかに明るい、ドタバタだろうがただのノリだろうが、ひたすら明るい路線になっている。すなわち読者がそれを求めているから、そうした作品の方が売れ行きがよくなっていたのかも知れないと。
これはまるで、自分が浦島太郎になったような気分だった。