✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 7/6(金) ③人混みと静けさの同居した場所。

食後、散策と思索を繰り返しながら、小町通りを間に挟んで、東西に行ったり来たり。

 

あくまで僕の場合だけれども、あまりにも静かな大自然の中にひとりいると、自然の懐に抱かれてしまうのか、小説のストーリーを考えることができなくなってしまう。

雄大な自然の畏怖すべき深い愛情に包まれて、どこか浮き世ばなれしてしまうのだろう。

 

かといって、人だらけ騒音だらけの場所では考えごとはできない。

生活音や、人々の会話のざわめきなどは気にならないのだが、さっきの大妙齢菩薩さま(本気で手を合わせようかと思った……)のように他者からの働きかけがあったり(これはナンパとかそういう意味合いではなく、他人の放つエネルギーが、あきらかに自分に向けられていることを意識するという意味。人間も動物である以上、薄まったとはいえ、そうした五感が働いて当然だろうと思う)、あるいは機嫌の悪い赤ん坊の泣き叫ぶ声とか言い争いをしているカップルの声とかは(これも負のエネルギーを感じるからだろう)、どうしても気になってしまう。

 

すると、平日比較的人通りの少ない小町通りのようなところで人に接しつつ、また路地の奥の閑散とした住宅街に足を踏み入れたりを繰り返していると、ちょうどいい思索の喧噪度を自分でコントロールできるような気がするのだ。これは近年気がついた僕の思索方法のひとつ。

 テラスモールによく出かけるのも、そんな自分がわかっているから。

ぼんやりと思索を重ねつつ、好きな雑貨や食器をぼんやりと見てまわり、テラスモールの建物の周囲にあるベンチに座ってめをつぶったり、行き交う通行人をぼうっと眺めたり。

 

まるで部屋のステレオをのボリュームや音質を自分好みに調節しているような状態といえばわかってもらえるだろうか。

 

まあ言ってしまえば人嫌いの寂しがり屋という話だけなのかも知れないけど (-ω-;)。

 

足のおもむくがまま歩いて、7000歩を過ぎた辺りで、やはり急激に疲れが。

1万歩というのは、今の僕にとってはかなりハードルの高い目標で、家から出て戻るまで、5000歩ぐらいが適度な疲れという感じ。

ということは、少なくとも一般の健康人の半分しか体力がないことになる。

 

甘い物を食べにカフェへ。ここも以前から気になっていた店。

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コーヒーとラムレーズンアイスのセット800円で至福のティータイム。

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いや、狙いを定めていた勘があったというか、コーヒーも美味しくて、正直フレンチの店のコーヒーの数倍うまかった。

若い夫婦なのか、小さな店だけれども、こういう味を出してくれる店が増えたのは嬉しい。

僕が学生時代など、ほんとに鍋でコーヒー豆を煮たのかと思えるような、ひどい物が出て来て当たり前の時代だったから。

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同じ広場の向かいにあるイタリアレストランも気になっている店のひとつ。

ちょうど従業員の食事時間らしくてクローズになっていたが、ショップカードをもらいに立ち寄ったら、食事をしていた店員さんがすぐさま飛んできて。

fujisawaとofunaにも支店があるとか、にこやかに説明してくれた。食事中に悪かったなと思う僕に向かって。

気持ちがいいな。今日はマニュアル抜きで話の出来るふたりに出会えた。

そして肝心のメモもノートにたくさん書きつけることができた。

収穫の一日。