✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 今日もまた自分自身に誓う。

お風呂から上がって体を拭いていたら電話が鳴って、

(あれ? 〆切りで原稿催促の電話がかかってくるわけないし……もしやカード会社??)

と、どぎまぎしながら出てみたら、近所のY先生の奥さま。

奥さまの方は小児科医で、ご主人もお医者さんですでに引退されているのだが、奥さまもこの春で閉院して、今や悠々自適の生活を送っているらしい。

このおふたりとはひょんなことからお会いして、それからというもの可愛がっていただき、ご自宅にまで呼ばれて、娘さんの手料理までごちそうになるなど、お世話になった方。

でも、この夏tujidouに引っ越してきたとき、真夏ということもあって、しかもエアコンの取り付けのお金もなく、完全にオーバーワークでまた体を壊してしまって執筆活動どころじゃなくなり、しかしそれでも野村先生のところに行って薬をもらう金すらなく、Y先生にSOSを……と一瞬頭をよぎったけれども、間違いなく医療面とか治療代とかで援助してくれることがわかっていたから、かえってそれができなかった。

やはり、もうダメだ死ぬな、というところまでは、なるべく人に迷惑をかけたくなくて電話をしなかったのだ。

 

体調がようやくよくなって、先生に半年ぶりに謝罪の手紙を書いたのだが、それで電話をしてきてくれたのだ。大変心配なさっていて、

「そういうときには人間甘えてもいいんだから」

とちょっぴり怒られてしまった。

もう少ししたら、またお詫びがてら遊びにうかがおうと思っている。

 

しかし、今やっている校正の仕事といい、みんな僕のことを心配してくれて、仕事をまわしてくれたり、時にはお金を貸してくれたり、この数年ランチで自腹を切ったたことなんかないし(自慢することじゃないだろ(-◇ー;)、ほんと、文字通り、みんなに生かされている、生かしてもらっている。

どうしてだかわからないのだが、何人かの友人や先輩から、

「お前の人徳だよ。見てられなくなっちゃうんだよ。しかもお前はお金とかに無頓着だし、自分の思ったこと感じたことをなんのてらいもなく正直に言うじゃないか。だから他人もお前にみがまえることなく接してくるんだよ」

と言われたことがある。さっきのY先生のご主人もそうだったらしい。

奥さまは、

「うちの主人は、けっこう人付き合いが難しくて、初めてお会いした方にあんなに心を開くって、まずないのよ」

とおっしゃっていたけれども、自分じゃ気がつかなくても、そうなのかも知れない。いや、そうなんだろう。もうダメだってときに、誰かが救ってくれるこの人生は……。

 

それに甘えちゃ行けないし、貸してもらったお金はもちろん、おごってもらった分も、そしてそれに対する何倍ものお礼をしてから死ぬつもりだし、いやそれまでは死ねないんだけど、どうも僕は、おかしな星のもとに生まれたことは間違いがないようだ。

肝臓さえやられなかったら、生命保険もガン保険も解約することなく、死んだらそれで借金を払ってくれと子どもたちに頼んでおくこともできたんだけど……。

 

しかしなんだか、お医者さんに知り合いが多いというのも、逆に言うとそれが僕には必要な人々であるという、病気をしやすい体という運命であるとも言えるのかな……。

なににせよ、このまま死んでたまるか。お礼をしてからじゃないと死んでも死にきれないという気持ちでいっぱい。

だから、人がなにを言おうが、きちんと寝起きして、時間はかかっちゃうけどバランスのいい食事を心がけて、朝3時間もかけて体操したりジョギングしたりして体調を整え体力を維持して、ただし内心では「ちくしょう! やってやる!」の精神を保ち続けているのだ。

人間の致死率は100パーセント。

どうせ死ぬなら最後まで生ききって死にたいと思う。