✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ オトナの論理は、若い消費者にはもう通じない。

自動車を目の敵にするようで恐縮ですが、日本的社会システムの典型的な事例を説明するのに、トヨタに代表される組織形態が、ものごとを説明するのにぴったりなので――

これまで、

「社長は黒塗りのセンチュリー。部長以上役員クラスはクラウン。課長以下がマーク2、主任クラスがカムリやコロナ、平社員はカローラ」

みたいな今や噴飯物のヒエラルキーがかつて存在したのだけれど、こうした一種の“オトナの押しつけ”が意味をなさなくなってきている。

(いやもう噴飯物というか、某県の県議をやっている友人が、「いやさあ、田舎で生活してると、新車を買うにもいろいろ配慮が必要なわけよ。いちどはクラウンに載ってみたいけど、たかが若い県議クラスでそんなのに載ってたら、生意気だってことになって、次の選挙落ちちゃうからさあ」とマジメな顔で言っていたことを思い出す。もうひとつは元妻の父親が、「いや、クラウンだからね」と、それがさも自分の人生の成功のあかしみたいに目を輝かせていたのを、離婚したからじゃないけど「バカじゃね?」と思って黙って聞いていたことも思い出した(-◇ー;)

しかもそのヒエラルキー自体をムシするならまだしも、クルマそのものを「要らない」という若者が増えてきてしまっている現実は、広告代理店があの手この手で回復をはかっても、これまでのように従順な羊の群ればかりではなくなってきた(ようやく)日本の若者の意識を変えるのは、そう簡単なことじゃないと思う。

まあ今日はなんだかかたくるしいことばかり書いてしまったけれども(こういうときは、たいてい本業が進んでないストレスの現れ (-ω-;)、この自由な選択肢、価値観の広がりというものは、我々日本人の幸せとは本来なにかを考える上で、とても大事な要素だと思う。

もちろんまだ大多数の人間は、

「今年の秋のスカートは赤が流行る」

とか、

「今年の秋は栗を使ったなんとかスイーツが爆発の予感」

とか、いったいどこの誰が予言してるのかと問いただしたくなるような突然のキャンペーンをうのみにしてしまう若者層も多いのだけれど、早晩それも少しずつ崩れてゆくことになるだろう。

(日本は欧米から20年遅れて意識やシステムが変わるという説は、意外と当たってる)

(だって、そうした裏で作られたキャンペーンに載っかって、雑誌とかで大特集が組まれているようなカッコウを全員がしたら、個性どころか、それは全員が没個性になることを意味するわけで。事実僕は、髪型も同じならファッションも同じという若い女性の見分けがつかない。自分の生き方をしっかり意識している女性は目立つし、簡単に覚えられるんだけど、雑誌や店舗で勧められたファッションをそのまま採り入れた若い女性は、ほんとに全員が歩く人形に見えてしまう。30過ぎのいいサラリーマンでさえ流行のスーツに身を包んでいるのを見ると、少し哀れにさえ思えてくる)

それを見られるころにはこの世とオサラバというのは少し悲しい気がするけれども、間違いなく僕の子ども世代に、日本の価値観は激変しているというか、真の意味での多様性にあふれていると思う。

僕もそれを選んでしまってひどく苦労しているのだが、家をローンで購入して一生を縛りつけられるような生き方とは無縁の人生観が、それぞれ互いに尊重し合いながら並存してゆくことになっているだろうと思う。

オトナはもはや、自分の都合を若者に押しつけるのは難しい時代になってきたことを知るべきだろうと思う。