✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

銀座小紀行(1)

昨日。

1年ぶりだか2年ぶりだか或いはもっと以前だったか、東京に出た。

久しぶりに乗る東海道本線の、その長距離が怖くて、なんだか全身の神経が張り詰めて、上野駅で電車を降りたときには、すでに全身疲労。

乗り換えて日暮里。

西日暮里には僕がゴーストをやった有名な皮膚科の先生がいて何十回も通ったが、日暮里は2度めだったか3度目だったか、ほとんど記憶にない駅。

どうにもアーチスト系の学生が多いなと思ったら、そうか。近くに東京芸術大学の音楽科があるのだ。

しかし彼らを別とすれば、日暮里はやはり日暮里。

ちりちりのパーマにアイロンをかけて、金縁の眼鏡に縦縞の入った妙に派手な上着をつっかけて歩いて行くさまなど、やはり昔から変わっていない。

駅前のパチンコ屋や喫茶店はほとんど在日韓国人経営で、奥のラブホもまず間違いなし。

しかし町並みが変わったのか、東口南口方面にほとんど記憶はない。

そこで、待ち合わせの改札口を間違えた僕のせいで、予定より40分も遅れて、元の会社の先輩とようやく合流。

どうしてこういう日に限って、スマホが壊れたり水没するんだろう・・・・・・不思議でならない。

鳴りもしないスマホなんて、年間を通して無用の機械に過ぎないのに、だ。

 

ともかくも、天王寺の墓地にあるお世話になったスタイリストの方の墓参りを果たし、数年もの懸案事項にけじめをつける。

目頭が熱くなる。

僕の20代最後にあたって、グラビアの撮影のなんたるかを叩き込んでくれた人なのだ。

まさに走馬灯のように・・・・・・伊豆の下田からバリ島まで出かけて起きたさまざまな事件が昨日のことのように思い出される。

本来は食事会のみの話だったのが、なんだか精進落とし。

銀座の和食の店に6時半だったのだが、まだ時間があったので、有楽町から松坂屋のあたりをぶらぶらして、先輩に東京案内をしてもらった。

だいたい松坂屋からして、無いぢゃないか!

祖父に連れられていった食堂街が、数万円もするフランス料理の店だとかもう別世界。まあこんなところで食べるのは日本人の田舎者か中国人のお金持ちだけだろうけど。

ソニービルが変わったのはニュースで知っていたが、実物を見て驚いたし、大型バスで乗り付ける中国人観光客の多さに開いた口がふさがらず。

なんだよ、俺が知ってるのは、不二家ビルに、丸源ビルに・・・・・・なんだかホッとするぞ、戦後の焼け跡闇市から立ち直ってゆく過程で林立していった当時のパワーの源泉よ。

銀座シックスだかウルトラセブンだかエイトマンだか知らないが、頑張れ不二家のホットケーキ。

ああ、もうお上りさんたぁ俺のことだぜてやんでえ、の心境。

まあ、20年も時間があれば、変わるか、このぐらい。

町は発展を続け、老兵は消え去るのみ。歴史的証人にすらなり得ず。

(続く)