✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

断酒860日目(130310)

断酒860日目。

昨夜も結局2時近かったから、起床7時過ぎ。

布団の上に起き上がって座ったまま20分動けず。

各種運動も今のところとりあえず無し。

 

昨夜までの悲しみ寂しさはとりあえず置いといて、雑務をこなす。

朝食は、もはや糖尿病といってもいい数値にまで再発してしまったため、先生の言いつけを守り、ご飯半杯、たんぱく質として卵2コとミックスチーズを使ったオムレツに、野菜 (今回はタマネギ、にんじんのみ)と納豆をフードプロセッサーにかけて炒めた一品。

食後にプーアール茶。

クスリ各種。

 

「悲しみ寂しさをとりあえず置いといて」

という芸当は、ようやく数年前からできるようになったこと。

つまり、泣くときは泣くけれども、それを離れた視点から冷静に観察し、そろそろ泣く材料が尽きただろうと思われる頃、

「もうこのぐらいでいっか」

と脇によけといて、仕事に入るとか、DVDを観るとか、掃除機をかけるとか、できるようになったのだ。

間違っても大むかしのように、いちど悲しんだり傷ついたりしたら、何日も何ヶ月も悩んだりしなくて済むようになった。

これも一種、強くなったということなんだろう。

最初から感情をコントロールできる人間も多いのだろうが、間違いなくそうした気質では作家にはなれなかったと思うし、まあ良かれ悪しかれ。

 

しかしこの自分を観察して冷静に対処するという行為が、2年前の震災のときにはまったく出来なかった。

多くの作家たちがそうだった。

ほとんどが打ちのめされて、まったく筆を持つことが出来ず、

(世の中の人がこんなに苦しんでいるのに、自分はエンタメの書き下ろしなんか書いていていいのか)

(はたして震災に遭った人たちに対して、なんの力にもなれない自分に、作家だなんて言える立場にあるのか)

(いったい自分の存在価値はどこにあるのか)

と悩んで、仕事がまったく手に着かなかったという。

 

ところが僕はそれを尻目に、少しずつでも書き進むことができた。

いや、できたと思った。

ところがその文章を読み返してみると、まるでストーリーになっていない。話を紡んでいない。

自分はそうした未曾有の悲しみの中でも、書くことができると思っていたら、それはただの空回りだった。

そういう苦い経験を思い出している。

 

あのとき感じていたのは、悲しみよりも、むしろ怒りだった。

微力ながらもルポライターと組んで、敦賀原発を取材し、悪性リンパ腫が増えていることを実証し、当時かなり物議を醸し出したルポであり、問題提起だった。

しかし、ごく一部の良識派以外は、ほとんど聞く耳を持たなかった。

持ったとしても、それは福井県の地元からせいぜい大阪周辺の住民だけだった。

しかもそれは、自分たちはだいじょうぶかという心配だけであって、他の原発立地地域の住民たちへ思いを致すことはほとんどなかったと言ってもいいだろう。

 

つまりは、自分たちさえ良ければそれでいいという考え方が、福島原発を目の当たりにしても、反対派の規模が大きくなっただけで、根本はなにも変わらなかったのだ。

 

僕はそれで、原発の記事から離れ、それだけが原因ではもちろんないけれども、これ以上出版社にいても存在意義を見いだせないと思って、会社をも離れた。

日本の大衆の多くは、大衆ではなく下衆と呼ぶにふさわしいと思った。

 

今朝、そんなことを思い出した。