✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■2/14(木) ついに究極の真理を発見した!

精神と肉体のバランスをとらなければならないという。

そーだそのとーりだと思っていた。

健全な精神は健全な肉体に宿るという。

これについては小難しい理屈があるらしいが、めんどーなので、素直にそーだそのとーりだと思うことにしちゃう。

http://www.geocities.jp/hgonzaemon/intro_juvenal_intro.html

その他に魂という概念が入ってくると、これはなんだか日本人には「ん?」みたいな印象があるし、イスラームもスピリチュアルもインディアンの教えもどんどん転がり込んでくるので、めんどーだから、俗説をすべて信じることにしている。

 

が、我が輩は今回大発見をしたのである。

それは、

精神が疲れ切っていると感じたら、肉体も疲れさせるとバランスとれるよん。

という恐るべき真理である。

 

これまでありとあらゆる哲学者も知識人も、精神が疲れ切っていると感じた時には、心を平穏に保とう。それにはやれ水を見ろ。空を見ろ。雲の流れに心をゆだねろなどと対処法を口にしてきたわけだが、

「精神が疲れ切ってるときに対処法なんて頭に浮かんでこねーぞ」

という明々白々の現実を忘れているのである。

絵に描いた餅。画餅に帰す。机上の空論。畳の上の水練とはこのことだ。

 

我が輩は今回、大晦日も正月もなく、誘われた温泉に1泊2日で出かけた以外は、休みなく働いていた(もしくは働こうとしたが結局ごろごろしていただけだった)。

そして気がついたときにはすでに遅し。

肉体はまったく疲れていないのに、精神がぼろぼろ。

寒い寒いおとといの火曜日にプチ家出をしてしまったのはつまり、キレたからである。

そしてまるで徘徊老人のごとく、生まれ故郷の東京まで出かけ、会田誠に感銘を受けつつせせら笑い、東京シティービューからの光景を見て、これは自分の知っている東京ではないと文明の進歩に衝撃を受け、挙げ句蔦屋書店で足が攣って悶絶し、6000円以上する和食に舌鼓を打ち、横浜で東横線からJRに乗り換えたら平日というのに混んでてぜんぜん座れずに悪態をつきながら、疲れ切って帰宅してのである。

 

火曜日はもう、締め切り催促メールに返信したら、そのまま布団に倒れ込むようにして寝てしまったのだが、翌日不思議なことが起こった。

朝は体中がばきばきと鳴り、あー疲れたなあというサイアクの起き抜けだったのだが、なんだか疲れ方が、昨日までとは違うことに気がついたのであります。

「疲れ切ってるのに、元気かも」

という、矛盾した状態を感じたのだ。

 

そうなのだ。

今日になったらさらに確信が深まったというか、別に精神の疲れをとろうと対症療法をおこなったわけでもないのに、精神的に安らいで来たのである。

別に風光明媚な場所を歩いて目の保養をしたわけではない。いまや人混み大嫌いとなった自分が、都会のど真ん中を歩いていたにもかかわらず、である。

電車の中で座り込んで休もうかと思うぐらい疲れ切っていたにもかかわらず、である。

 

これはもしかすると……真実だ。

精神が疲れたと感じる→スポーツでも徘徊でもなんでもいいから肉体も疲れさせるという行動によって、肉体は元気なのに精神だけ疲れているというアンバランスを是正できるのではないか。

是正できるということはつまり、精神だけ突出して過敏になりすぎていた部分が修正され、疲れ方の差が少なくなることによって、マイナスながらも双方の差がなくなるのではないだろうかと発見したのである。

 

そう言えば今日はバレンタインデーだった。今年は(今年も)誰もチョコレートをくれなかった。

会話を交わしたのは美しいギャル(50歳まで可)ではなく、アルミサッシ工事の人たちだけだった (-ω-;)

うう……お風呂入って疲れをとろう……。