✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■2/3(日) 国家官僚になる前に、民間で働いてみたらどうだろう

「日本は医療とか美容を得意分野とした方がいい」

なんていつか書いたと思うけれども、その他にもいくつか細切れの持論がある。

いちばん大きなものは、またいずれ時間があったときにでも書くつもりだが、細かいもののひとつに、

「公務員の職に就く者は、~年間、国や自治体が指定する民間で働かなければならない。とりわけ第一次産業においては~年間の勤務を命ずる」

なんていう法律を制定するというものがある。

 

これは先ほど触れた「勘違いした学校の先生」に連動していることなのだが、ありとあらゆる分野が細かく専門化してしまった現在の世の中では、

「いちばん大切なものとはなにか。それを実現するためには、あるいは守るためにはどうしたらいいか」

という視点が抜け落ちてしまいがちになっていると思うからだ。

いま求められているのは、会社内ではなく、日本全体を見ることのできるゼネラリストである。

ひとつひとつのものごとについては、専門家の知識にかなうべくもないが、

農業、林業、漁業、鉱業、工業、商業、エネルギー産業、防衛、外交、法律、法務、刑罰、医学、科学、化学、教育、環境、福祉、社会学……

などについてひととおりの浅くとも有機的結合のできる頭脳の持ち主が必要だ。

 

「優秀であればあるほど、バカに近くなる」

というのは、バカという言葉をなるべく使ってはならないと自らに言い聞かせている自分の戒律を破ることになるけれども、やはりバカはバカであって、矛盾しているようだけれども、金のために人の命をかえりみないorコストとしか見なさいない人間だけは、大声でバカと言っても差し支えないと思う。

 

というのは、人の命を考えない人間は、人間ではなく、人の皮をかぶったケダモノなのだから、ケダモノに対してバカという発言をしてもよろしかろうと思うからだ。

どうせ聞く耳持ってないんだし(-◇ー;)。

 

その「出身学校」「学業成績」によって優秀と定められた人間と、社会で働いている人間との間には大きな乖離があるし、snowy-moonさんがとてもわかりやすく説明したくれたように、最優秀(と思われている)人間に対する漠然とした恐怖心から、異議を唱えることを忘れ、ただひたすら目立たぬように、そつなく仕事をこなし、言われたことだけやっていればいいと考えている人間の数が急増しているように思えるから、余計に社会の一線で働いている人間たちの欲求や不満が耳に届かないようになってしまっている。

 

これは今回、どうも原発産業から金をもらって党本部の再生を図ろうとしている社会党あたりにも大いに責任があったのだが(すでに過去形)、野党は予算委員会などで相手を論破するためだけに、

「これは知っていますか」

と枝葉末節の質問を繰り返してきた。

これは「なんでも反対」と並んで、実は有害この上ない大きな要素だと思う。

 

例えば今僕の地元となった阿部知子参議院議員、さすがは小児科医出身で、生命や女性の権利について敏感に、そして勇気を持って発言を続けているけれども、その決してヒステリックではない彼女にしてからが、当時首相だった麻生太郎氏に向かって、

「貴方はカップラーメンの値段がいくらか知っていますか」

などとテレビ中継のさなかに質問していたのだからなにをか言わんやなのだが、もっと法的に細かい問題とか、何にいくら使われたかトータルの金額を出せとか、そんな質問はぜんぶ官僚に答えさせておけばいいのだ。

そのために官僚という明治維新以来連綿と続く権力構造の存在意義があるのだし、いちいち細かいことを与党政治家に要求すれば、質問を受けた人間はそのための勉強でめいっぱいとなってしまい、社会全体のことを考える余裕がなくなってしまう。

 

これが国家官僚や地方公務員も使う手であり、数字とか法律とか、我々の言うことを聞かないなら、大臣(あるいは市長)の言うことなんかこちらも聞きませんよと面従腹背の脅しをかけてくる。

 

これを打破するためには、まず官僚に社会や世の中の常識を身につけていただき、受験問題ではない生身の人間の声を学ばせなければならないと思う。

 

そうした感覚が欠けているからこそ、復興支援の金をまったく違う目的に使ったり、もうすぐ丸2年となるというのに、あたかも国内で戦争でも勃発したかのように、自然災害による被災者を、難民のごとくあつかい、被災者をバラックに押し込めたままでいられるのだ。

 

なんて非人間的な人間(コレヲモッテケダモノトイフ)が日本を支配しているのだろう。

アメリカやヨーロッパ、イスラームの国々と違う点は、彼らには神という絶対的な存在があるから、神さま自体がなにをするわけでもないが、神さまを信じている人間たちからの反撃を恐れて,無茶ができないし、無茶をした人間に対する報復もけっこうちゃんとおこなわれるのだ。

 

ところが中国や韓国、日本においては、天網恢恢疎にして漏らさずなんて言葉が人口に膾炙しているにもかかわらず、実態は正反対。

 

まず隗より始めよではなく、まず国家官僚から始めた方がいいというのが、僕の持論のひとつである。

 

さて寝なくては。