✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■2/3(日) かわいそうと声をかけてやりたいけれども。

無線がまたおかしくなって、ネットにつなげなかった。

しかもそれを直そうにも知識がないものだから、ウインドウズのネットワークセンターから修正をやってみたり、あるいは無線親機のバッファローの設定ツールを使ったり(それにも2種類というか、あって、しかも自動と手動があって、なにがどう違うかわからん……)、四苦八苦。

才能ないのう。というか、そこまで勉強する時間がないなあ。

 

娘からのメール。

あれほど強気だったのに、「受かったらいいな」と。

しかしその後のメールで、あれほど

「できたと思ったところでもみんな見直すんだよ」

と口を酸っぱくして言っていたのに、漢字はできたからと見直さなかったらしい。

漢字はカンペキだからと思って、現代文をカンペキにしようと、読解だけ見直していたらしい。

 

そんな基本的なことすら教えてくれないのか。河合塾っていうのは……どこが一流の塾なんだかわからない。

「そんな基本は各自わかりきったことだろう」

というのは、金をとってサービスしている人間が言ってはならないこと。

全員なにも知らないという前提に立って、

「先生、そりゃ優しすぎるよ」

と言われながらもしつこく教えるのが学生へのサービス業じゃないかと思う。

模擬試験の結果と偏差値だけ見て、第一志望の合格率は何パーセントとか、滑り止めはここがいいだとか、そんなことはロボットでも言える。

(だから大学に入りたての、世間のことについてはなにも知らない学生を雇う塾が多いのだ。専門のチューターを雇ったら高くつくから)

まあ塾への悪口はさておき。

 

漢字は結局、10問中3問間違い。

これで今年は現役入学はムリだろうと思った。

これは悲観的なわけじゃなくて、勘。

 

どうも娘は、自分の通っていた学校のレベルが低いから「バカ学校」と言ったり、よほど頭に来たり、熱い議論でもしていなければ出てこないような汚い単語である「バカ」を時おり使うから、これはダメかもという予兆はずいぶん以前から感じてはいた。

 

しかし今回の挫折で、どうやら、

「バカなのは自分だった」

ということに気がついたらしく、もしそうだとしたら、それは受験などという小さなことではなく、今後の生き方にもいい影響があるだろうと思う。

そういう意味では、たとえ今年はダメでも、収穫は大きかったはずだ。

少しきびしい意見を添えて、メールを返した。

 

これは世の中どんな人間にも言えることであって、自分のことを利口だの成功者だのと思っている人間ほど、手に負えないものはない。

僕が大嫌いな、永倉経団連会長(この人に比べれば、読売のナベツネの方がまだ害が少ないような気がする)もおそらく、自分は賢くて人はバカだと思っているのではないだろうか。

彼の発言には、

(もしかすると自分はなにも知らないバカなのかも)

という謙虚さとか自省の念は働いていないようだから。

 

国家官僚然り、経済人然り、政治家然り。

もっとも身近で言えば、学校の先生がそうである。

大学生のとき国家試験に受かり、体験授業をしただけで、学校に赴任したとたん、

「先生、先生」

の嵐。

生徒の両親はもちろん、お互いを先生と言い合っているような特殊な世界に入れば、自分は偉いんだと勘違いしてしまってもしょうがないかも知れない。

そこでさらに勘違いすると、葬式ごっこをやって生徒を自殺に追い込んだり、体罰という名の暴力(援交という名の売春を思い出した)をしても当然だと思い込んでしまうのもムリはないかも知れない。

 

自分の子どもには、ラクをして欲しい。少なくとも悲しい思いはしてもらいたくない。

それは親にとって本音だろう。僕だってそうだ。

けれどそういう親は、いつまで立っても子どもを突き放すことができない。

時には冷静に話し合い、頭ごなしに怒鳴りつけることができない。

 

話し合いとはただの意見の押しつけだったり、怒鳴りつけるのは相手のためを思ってではなく、自分の言うことをきかないという怒りから。

それどころか、あまやかす「だけ」で、心の中で泣きながら「突き放す」ことができない。

そして、自分がいつか死んで、生きて行くのは子ども自身の力なんだということすら、理解出来ていない親が多いように思われる。

どうやらその手の人をバカにする手合いは、自分が永遠に生きると思っているらしいから、どうにも始末に負えない。

いつまでも死なないと思っているから、モンスターという名前がついたのかと思っていた。