✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 9/10(月) ④朝メモ(4)

そうした点では、今どきの若者の方がずっと進取の精神に富んでいるといっていいだろうと思う。

ところがそこにも穴があって、あまりに進取の精神に富みすぎて、便利なツール、便利なソフトに呑み込まれてしまって、逆に本質が見えなくなっているんじゃないかという懸念を抱いているのが昨今。

人間の営みなんて、大もとの部分ではほとんど変わっていないはずなのに。

 

本質というのは、あまりいい例えじゃないけれども、僕が働いていた出版社で言えば、「国語辞典」。

どういうことかというと、編集作業をするには、国語辞典というのは必須のアイテムだったのだ(これは今でもそうだろう)。

ところがこれまたパソコンと同じく、自分の机に国語辞典を持っているのは、編集部に僕ひとりだったのである!!

なんてこったい……

 

必要な時には、校正の人たちが使っている辞書を借りてすませているという、今だったら全員に回し蹴りを食らわせているほどの体たらくだった。

神田神保町にいるんだから、そこら辺の古本屋の店頭を見れば、段ボールの中にぼろぼろになった国語辞典だの漢和辞典だのが、200円300円という値段で売られていたはずである。

 

いや、別に国語辞典が人生の本質だと言っているわけぢゃないですよ。

編集者の本質部分に国語辞典というのはかなり大きなウエイトを占めている中枢部分であるはずなのに、派手な打ち合わせだの六本木のバーでねーちゃん片手に(って表現おかしい)酒を飲んだりだの、あげく芸能プロダクションとの打ち合わせでアイドルを目の当たりにしたりその水着グラビアを撮りにグアムやサイパンまで出かけていったり、つまり派手なことばかりに目が向いていたわけ。

すでにアメリカでは全盛時代となりつつあったネットにも関心を示さず、職業の根本たる国語辞典も持たず、表面的に派手なことばかりに目がむいて浮かれていた若者たちが、どうも表面上ではなく、本質的にはおんなじじゃないかという気がしないでもないのである。

 

いずれまた続きを書きたいけど、なんだか朝メモじゃなくて朝の小言になっちゃったい……。仕事しねーと……。