■ 9/9(日) ③DVDの効用。
自由読書の時間がとれない、或いは目が疲れて活字が読めないことを補ってくれるのが、夕食後のDVD。
これが発想を自由に解きはなってくれる場合があるから、もう手当たり次第。
そのむかし、編集者時代に知己を得た故・早坂倫太郎さんという時代小説家がいらしたのだが、
「君がどんなものを目指しているのか知らないけれども、ビデオ、とりわけ世間的にはB級と呼ばれている映画のビデオは、馬鹿にしちゃいけないよ。必ず役に立つ部分がひとつでも発見できるものだから」
とアドバイスしてくださった。
もちろんビデオデッキごとたたき壊してやろうかというぐらいひどい作品にもあうことはあるけれども、たいていはなにかひとつはヒントが得られることが多い。
ストーリーや映画の出来としてはダメダメだけど、たったひとつのセリフが秀逸だったり、主人公たちのなにげないしぐさのひとつ、カメラワークによる視線の流れなんてものが、例えば頭の中に飛び込んでくる。
もちろんそれらは、現在書いている物にストレートに反映されることは少ないけれども、頭の中で発酵したものは、いつかアウトプットとして文字という結晶をもたらしてくれるのではないかと思っている。
だから、セリフなど、なるほどと思ったことはいったん再生を一時停止してノートにつけるようにしているのだが、これでかなり時間を食ってしまうし、純然たる映画鑑賞とならないのが欠点だけれども。
しかしこれは朝メモでも書いたように、投げ捨てたくなるような本の中にも数行だけ自分に資するものが発見できればいいわけで、これはDVDにも言えているのではないだろうか。
だから小説にしても映画にしても、ノートをとることすら忘れさせるような質の高いもの、スリリングなもの、心から笑えるものetc.でない限り、その読書、鑑賞は不純となってしまうことが多いのだが、しかしインプットが無いよりはマシだろうと開き直っている。