明日から風呂入れないかも!!
これからお風呂。
明日からいつガスが止められてしまうかわからないから、今晩が最後のお風呂だと覚悟しておいた方がいいな。
僕は毎年確定申告を2月16日に提出しているのだが、遅くとも3月末には還付金がもどってくる。
ところが今回、遅いなあと思っていたら、すでにしつこいほど書いたchigasaki市の収税課による還付金の差し押さえ。これさえなかったら、ガス代だって電気代だってきちんと払えていたし、その計算でお金を使っていたのだ。
chigasaki市の収税担当のO氏は、相手が困ろうがなにしようが首をくくったような答えで、直接担当だった女性が、
「今回は利息については差し押さえ分に含めませんから」
と言ってくれていたにもかかわらず、それすら差し押さえようとしていた(利息2万3800円というのは、僕のような貧乏人にはとても大きい)。それはおかしいでしょう、担当者はそれは今回は見逃すと抗議したら、ちょっとお待ちくださいと言って、結局それは私のミスですと言ったけれども、その担当女性がいなかったら、O氏はそれすら徴収していたはず。
役人と銀行員と、東京ガスや東京電力に勤める人間に人の気持ちがわかる人間は少ないというのが僕の持論だったけれども、今回はみごとに自分でそれを味わうことになった。
彼らにとっては数字がすべてで、母子家庭で生活費に苦しんでいようが、親や障碍のある子の介護優先で満足に働くことも出来ない家庭のことなど、歯牙にもかけていないと思う。
「今期自分はいくら徴収したから、係長に褒められるだろう」
ぐらいのものに過ぎない。
ここに何千年も前に中国の孔子が早くも指摘していた「法治主義」の限界があるんだと思う。
すべての物事を法律で整えていこうという考え方にはそもそもムリがあって、法律は年々増えていき、些細なことにも法律の網がかけられ、それに従事する役人たちは人間の心を持つヒマも余裕もなく、ただ条文に忠実かどうかでしか物事を判断しなくなる。
「法律に合ってるから正しい。法律にずれているから不正である」
程度の認識しか持たないか、持たざるをえないように教育されていくうちに、心から暖かみというものが消えていくんだろう。
だから、きちんと生活保護について説明して受給出来れば飢え死にしないで助かったような人たちが、いつまでたってもいなくならない。それが、暖かい心を持たないという僕の主張のいい証拠だろうと思う。
そうしたことを考えると、たかだか数日間風呂に入れないなんて問題は些細なことであって、かろうじて印税や校正のアルバイト料が入る自分はまことに恵まれていると思う(まあ、将来にわたって生活保護は受けないとは断言できないんだけれども (-ω-;)。
しかし、そこはただの子どものまま育ってしまった我が輩。やはり風呂に入れないのはグヤヂイ……
友人のところにもらい湯に行くしかないなあ(´・ω・`)。